ずいぶん前ですが、「アポロ疑惑」なるものが話題になったことがあります。「アポロは本当に月に行ったのか」という疑惑ですね。
当時の科学技術で、月面着陸したというのは本当にすごい話。だから「本当なのか?」という疑惑が生まれたのかもしれません。私が学生時代に見たアポロ疑惑の特集番組では「月に人間が着陸していないかもしれない証拠」を伝えていました。
でも冷静に考えてみると「月に人間が着陸した証拠」の方がはるかに多いでしょう。一方的に疑惑の証拠だけを伝えるのは、バランスを欠いています。疑惑だけを伝えていては、「月にいっていない」と信じてしまう人もいるのではないでしょうか。
ウワサ話も同じこと

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同じようなことは、人のウワサ話にもあります。たとえば「AくんとB子さんが、いっしょに歩いていた」という事実があったとしましょう。
これを人に伝えるのであれば、ただ事実を話すだけではあまり面白くない。面白い話にしようとすると、多少演出が入ってしまいます。演出を加えて「ふたりは手の触れそうな距離で歩いていた」と話したとする。
するとそれを聞いた人が、別の人に同じ話を伝えるときには、さらに話が大きくなります。「手を握り合っていた」と。
いっしょに歩いているのと、手を握り合っているのでは、印象が大きく異なりますよね。もちろん、誰もが話を大きくするという意味ではありません。そういうことも「起こり得る」という意味です。
情報を正確に伝えようとすれば、最初に聞いたことをそのまま伝えるでしょう。でも、人に興味を持ってもらおうとすると、まるっきり嘘ではないにしても、多少話を大きくする場合があります。
そうすることで一時的には人から関心を持ってもらうことができるかもしれません。でもそれが嘘だとわかれば、確実に信頼をなくしていきますね。オオカミ少年みたいな状況になってしまうのです。