前進するためのエンジンは「気づき」だけ
願望実現って響き、素敵じゃん?こうやったらいいよ~、こうするんだよ~、こんな意識でいればいいよ~、などなど。ワークやメソッドは山ほどある。私個人の話でいえば、ワークやメソッド、いままで続いたことがないよ…ホントに飽きっぽい。
自分に当てはめて思い返したとき。何かをやったからとか、誰かの話を聞いたからとか、何かひとつのことで「これをやったから劇的に変わった!」ってものは、何もなかったの。
グーンって何かが進むときって、自分のなかで「気づいた」ときなんよ。誰かの話を理解したときじゃなく、自分が体験して気づけたり、自分が決めたことに対して、安心感を持てるようになったり。そんなものでグーンと楽になっていったように思う。
もちろん、いままで学んだ色んな情報は、サラサラの砂みたいに段々と積み重なっての、その先の気づきにつながったんだろうけどね。
自分で答えを出して!
何が言いたいかというと、自分で考えること、そして答えをとりあえずでもいいから出して、試しにそれをやってみること、その手応えを見ること。この一連の流れがめちゃくちゃ大事だったんよ。
その作業で、自分って人に、実際に変化が起きるんだと思うの。自分で答え出していいんよ!
この状態にいるときって、誰かに聞きたくなっちゃう。「これでいいんですか?」とか、「合ってますか?」って聞いちゃうじゃん?私もそうだったけど…。
これね、聞かない方が早いんじゃないかと思う。確かに、誰かに聞いて、安心して、それでまた進むこともあるとは思う。
だけど、「自分がそう思うこと」って、自分にしか受信できないことで、そのなかにはもちろん頭の声もあるけど、本質の声もある。それを見極める。その違いを感覚でわかるためには、自分が思ったことを素直にやって、結果を見る。それを繰り返すことが、結局近道じゃないかな?と思うから。
だって、やることって、それだけだから。だったら、最初からそれをやってればいいじゃん?誰かのやり方を自分に当てはめるなんて、まどろっこしい時間を省いてさ?
願望実現って結局、目の前の小さなことを、叶えるのと同じことをやるだけだもん。「やりたい→やる」がベースじゃん?それでもし、「やりたい→やれない」ってなったとき。
引き寄せっていう魔法のようなやり方に食いついちゃって、意識が目の前に向かなくなったり、ただただ素敵な夢のような叶え方に固執したりすると、その分実際に叶う時間が遅くなることがあるからさ。
例えば、ほしい物があるとき。自分で買う、なんて当たり前の叶え方じゃなく、誰かに買ってもらえたり、突然プレゼントされなきゃ意味がない、って思ったり…。自分で買うのも、立派な願望実現なのにさ。
要は、叶えられたらいいはずのことが、ミラクルな叶い方の引き寄せに固執してるばっかりになかなか叶わないって状態になってたりね?
「願望実現」って、あまりにそっちに夢中になると、本質が望んでることに気づきにくくなると思う。