同じくらいの欲求じゃないのなら…
とはいえ、何も求められないということも寂しい…と感じやすいのが女性。性に対しては、女性のほうが複雑な要素を持っていたりします。スピリチュアル的に性欲を見ると、性欲もクリエイティブなエネルギーと見ることができます。
性は、表現欲求を満たす場所です。また、自己を確かめる場所でもあります。性行為には、いろんなレベルでの「自分を確かめたい!」という意思が込められています。自分の確認=表現なのです。なので、カップルはこの自己表現欲求のレベルが同じくらいが望ましいのです。
同じくらいの欲求を持つ同士なら、お互い同じ速度で確認作業ができますが、欲求の度合いが大きく異なる場合、どちらか片方が我慢をしなければなりません。
自分の表現を我慢しなければならないのは、生きていてとても苦しいこと。自分の表現を自分のペースでできないこともまた、生きていてとても苦しいことなのです。
身体のことは、お互い出会ったすぐにはわからないもの。本当は、身体の関係を持つようになったくらいに、早い時点で疑問に思ったことや問題だと思うことは話し合ったほうがいいのですが、デリケートな問題だからこそ、見ないふりしている…というカップルも多いのです。
愛があれば、なんでも乗り越えられる…出会った当初はそう思えるかもしれません。でも、性に関しては、数々のクライアントさんのケースや自分の過去のケースも振り返ってみても、なかなかそのようにはならないことが多いと思います。
性は自己表現であるがゆえに、自分が出ます。だから、ごまかせないし、隠せないし、我慢できないのです。わたしたちは、身体を持って存在しています。
いくらスピリチュアルに生きていても、魂だけで生きられるわけではありませんね。スピリチュアルでいわれる、「身体の声を聞く」というのは、病気のことや不具合だけではなく、このような性の相性に対してもするべきなのですよ。
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