「退職」
浮かれた私は、次の日からまたコンビニに通いだした。どれだけ残業が長引いた日でもとりあえず足を運んだ。たとえ佐藤さんがいなかったとしても、会えるか会えないかのドキドキを楽しんでいる自分がいた。
佐藤さんと話す内容はほんの些細なことばかりだ。「きょうはあったかいですね」とか「肉まんできたてですよ」とか。先日髪色を変えて「なんか雰囲気変わりました?」といわれたときは、うれしすぎてTwitterで叫んだ。
ただ、そんな平穏な日々が長く続くわけじゃないのは重々承知している。そしてそれはとっても早く訪れたのだった。
「佐藤くん、来月末で終わりでしょ?」
ふと耳に入ってきた会話。佐藤さんが店長らしき男性と話をしていた。来月末で終わりって、それは退職するってこと?心臓がまたドキドキと音を立てる。
でもこれは、はじめて佐藤さんに出会ったときとは違う。もっと不安と、困惑と、悲しみと、いろんなネガティブな思いが渦巻いた、あまり心地よくない音だ。このまま、連絡先も聞けずに会えなくなったらどうしよう…。
その日から何度も連絡先を聞こうと試みた。しかしなかなか勇気は出ない。タイムリミットは着実に近づいているのに、あと一歩が踏み出せないまま時間だけが過ぎていった。
さらに、佐藤さんのシフトは徐々に減っていった。もしかしたら昼の時間に変わったのかもしれないが、これまで1週間に5日は会えていたのに、最近は1日しか会えない。「きょうこそ連絡先を渡すぞ!」と意気込んだ日に限って、佐藤さんはいなかった。
そうこうしているうちに、佐藤さんの退職日前日になってしまった。
「俺、明日でここやめるんすよ」
佐藤さんは、いつものように肉まんを取り出しながら私に声をかけた。
「もう、こうやって肉まんいれることもなくなっちゃいますね」
そうですね、なんて笑っていいながら、心の中はモヤモヤとしていた。あした以降も、会いたいです。そんなこと、やっぱり私にはいえない。
「明日も来てくれますか?」
「もちろん、明日も行きますよ!最後にあいさつしに来ますね」
「じゃあ、待ってますね」
少し、佐藤さんの笑顔が悲しげに見えた。あしたのチャンスを逃したら、もう二度と会えないかもしれない。連絡先を渡すならあしたしかない。帰宅して、私はメモ用紙に自分の連絡先をしたためた。あした、これを渡そう。頑張って渡して、この恋を進展させるんだから。
しかし翌日。私は急な体調不良で仕事を休み、コンビニにも行くことができなかった。