こんにちは、ライターの薗芽花(その・めいか)です。今回は、夫やパートナーのモラルハラスメントやドメスティックバイオレンスに苦しんでいるかたに、その困難を乗り越えた私の体験談をお話しします。
すべての人に当てはまる方法ではないかもしれません。ですが、モラルハラスメントはもちろんのこと、ドメスティックバイオレンスは、いくらパートナーに非があっても、決して起こってはいけないこと。
この記事を読んでいただいて、ひとりでも深い悩みから解放される人が増えてくれることを願っています。
- ※本記事は暴言や暴力などDVに関する描写があります。あらかじめご注意ください。
目次
- 出産直後から始まった夫のモラルハラスメントと暴力
- 離婚の選択肢から「夫婦で乗り越える」へ
- モラハラ・DVを「夫婦で乗り越える」方法
- どうしても理解しあえないときは
出産直後から始まった夫のモラルハラスメントと暴力

image by:Unsplash
「もう、家に戻りたくない…」
ある12月の雪が降る寒空の下、児童館の帰り。私は、1歳の娘が寝ているベビーカーを押したり引いたりして、泣きそうになりながら公園のベンチでひとり思い悩んでいました。
時刻は夕方の4時。もうそろ夕飯の支度も始めなければいけない時間です。家に帰って7時にもなれば夫が帰ってくる。またきょうも暴言、暴力を受けるかもしれない…。そんな恐怖のなか、家路を帰り渋っていました。
私が夫のモラルハラスメント、2週間に1回程度にやってくる暴力に悩まされるようになったのは、子どもを出産してからでした。
子育ての経験がある人は想像しやすいかもしれませんが、出産を終えたら子どもが第一優先。掃除や洗濯、食事作りもおろそかになりました。結婚当初の夫との二人だけの生活から一変し、体力と気力と自分の子どもへ対する寛容さとの戦いの毎日です。
そんな生活のなか、夫が放つようになった言葉は、「ねぇ、俺が帰ってきたら何でこんなに部屋が汚いの?家にずっといるんだから掃除くらいちゃんとしてよ」。夕飯のときは「何か食事適当じゃない?前みたいに美味しく作って」でした。
最初は「機嫌が悪いだけなのかな」と感じていましたが、それらがきちんとできない状態が続くと、「なんで家事みたいな簡単なこともできないんだ、お前は低能だ」。
子どもにますます手がかかるようになり、家事もさらに手が回らなくなってくると、私がうまくできない何かに対して、「低能」「クズ」「バカ」などと、ひどい暴言吐くようになったことが日常茶飯事になっていきました。
なかでも私のプライドをズタズタにしたのは、「俺の金で生活して、家でのうのうと暮らしていてお前は幸せだな」という言葉でした。私は必死に育児も家事もこなしているのに、夫はその理解がない。私はこの言葉にうまく反論できず、グっと苦しい思いを飲み込んだのを覚えています。
もちろん離婚も考えましたが、踏みとどまった一番の理由は経済的なことでした。幼子を抱えての再就職は難しい。そして世間体。離婚することで自分の子どもはもちろん、私の両親、兄弟の甥や姪にも何か迷惑がかかるのではと私は恐れて踏み込めなかったのです。
ある日、夫からの心ない言葉に疲弊しているところに、恐怖の一撃がやってきました。夕飯の準備のとき、味噌汁を思わずこぼした私に、「きたねぇな!家事もできない低能!」と蹴りが飛んできたのです。1週間ほどあざが残るほどの蹴り。驚き、恐怖におののきました。
親にも叩かれたことのない私は、夫に反抗することより恐怖が上回り、そこで何も抵抗できなかった。結婚前はやわらかでにこにこした笑顔や、こまやかな気配りで私をエスコートしてくれた夫。お互いを思いやっていた幸せな生活から、一変、奈落のどん底に突き落とされた気分でした。
その日から、恐怖という感情が私を支配するようになりました。夫が仕事から帰ってくる時間になると、動悸が止まりません。
自分の意見は論破されて、何も言い返せない毎日。同じ空間で寝ていても、恐怖でよく眠れません。心と精神のバランスを崩し、私は小さな子を連れてメンタルクリニックに通うようになりました。
クリニックでもらった安定剤を飲みながらなら、何とか日々をやり過ごすことができる。夫のモラルハラスメントと暴力の恐怖におののく5年間の日々が、始まりました。