切っても切れない家族の縁。身勝手で奔放な家族がいると、どこにも相談できず身内で抱え込んでしまうケースも多くあります。そんな困った家族が父親だったら…ずばり、ネタにしてしまうのがいいようです。
メルマガ『ファンキー過ぎる家族がいてもマジメに生きてる娘の話』著者のミーミーさんは、ぶっ飛んだエピソードをたくさん残したファンキーな父親について「将来、何らかの形で書くんだ!」と決意してから、悩む気持ちが随分軽くなったそう。そして溜め込んだ数々のネタをnoteで公開すると話題に。
今回は、メルマガで披露されているnote未公開のぶっ飛びエピソードを特別に掲載します。
押し入れから、こんにちは

image by:Shutterstock.com
- 生前の父のことを面白おかしく書くというのは(全部実話ですが)よろしくないのではないかという意見もおありかと思います。しかし、生前、父に「もう! こんな大変なことばかり! いつの日かパパのことを書いてみんなに読んでもらうからね!」と言ったところ「どうぞどうぞ! それで稼いで俺をハワイに連れていってくれ」と言われた記憶があります。…ということで一応本人に了承は得ておりますので安心してお読みください。
父は中学生のころからラグビーをしていたそうです。高校と大学はラグビー推薦で進学したと言ってました。「花園」に行ったり「オール関西」にも選ばれたと、父の自慢話は大体、ラグビー時代のものが多かったです。葬儀でも入口に父一番のお気に入りの写真(ユニフォーム姿で格好つけてこちらを見ている)を飾りました。
私の記憶の中での父はぶーちゃんで、とても「ラガーマンで速く走れていた人」なイメージはなかったのですが、ふくらはぎの筋肉がキュッとしてきれいだったのできっと速かったんだろうな、と想像はつきました。そんな父のフットワーク軽めのお話。
私が生まれる前。借金取りに追われて父は行方不明になっていたそうです。親戚のおじさんから連絡があり、母がおじさんの家を訪ねたら…父が押し入れから登場した、と。笑顔で「いやあ、どうもどうも久しぶり」と出てくる父。押し入れから出てくるなんて…そんなリアルドラえもんのようなこと。しかも大人ですからね。そのうえ、ぶーちゃんですからね。
同じ時期に、異母姉にもまたおじさんから連絡があり、その家を訪ねたそうです。そのときは押し入れではなく、地下室から出てきたらしいです。いや、おじさんの家、どれだけ身を隠すのに最適な家なんだ!と思います。
母と姉、2人からの証言しか得られていないので、押し入れと地下室以外のレパートリーがあったかどうかは謎ですが、いくら昭和の時代とはいえ、大の大人が(しかも大きめの大人が)そんなところに隠れていたわけです。想像すると…きっとラグビーで鍛えた筋肉とフットワークの軽さを駆使して隠れていたに違いないと思いました。
当人たちは真剣だったと思いますし、笑いごとではないのはわかってますが、この話を聞くたびに「いいなあ! 私もその姿を見てみたかった!!」とワクワクした気分になります。
メルマガでは、このような父の「笑った!困った!驚いた!」エピソードをお話していきます。興味のある方はぜひご登録くださいね(初月無料です)。