出産って、幸せなことだと思っていた
7月某日。達樹とキャンプで出会ってから、ほぼ1年が経とうとしたころ、私は新たな命の誕生を目前に控えていた。
「大丈夫か?」
「うん、ごめんね朝から…」
早朝、私は自宅で突然破水し、達樹の車で病院に向かっていた。
あの日、達樹と出会い、小春から奪い、妊娠し、結婚して、いよいよきょう。長いようであっというまだった。
幸せな結婚だと思っていたのに、現実は想像と違っていた。友人や達樹の家族たちには避けられ、ろくにおめでとうも言ってもらえない。
SNSにあげた結婚写真も、あまり反応がよくなかった。きっと小春から略奪したといううわさを聞いたのだろう。おめでとう、という言葉がほとんどなかったのだ。
それでも私は幸せだった。確かに幸せのさなかにいた。
「じゃあ俺、仕事行くから」
「えっ、いてくれないの?」
病院に私を置いて、達樹は早々に会社へ立ち去ろうとする。
「立ち合い出産してくれるって話だったじゃん」
「でもきょうの仕事はどうしても外せなくて。仕事終わったら来るから、ごめんね」
「そんな…」
結局実家の母も間に合わず、私は1人で出産に臨んだ。
「無事に生まれたのね、ごめんね間に合わなくて」
母はベッドに横になりぐったりしている私の元へ、息を切らしながらかけつけてくれた。赤ちゃんが産まれてたった1時間後のことである。
「さっきガラス越しに赤ちゃん見てきたよ。とってもかわいい、あなたにそっくり」
「そうなんだ、ありがとう。あまり顔も見るような余裕なくてさ…」
「あれ?達樹くんは?立ち合いじゃないの?」
「ああ、仕事行っちゃった」
「ええ?あちらのお義母さんは?」
「あー…私連絡先教えてもらってないんだよね。達樹が連絡してくれたと思うんだけど」
「そう…」
母親は紙袋の中身を少し見て、ため息をついた。
「両家顔合わせがないまま結婚したでしょう。ここででもいいから、ご挨拶できたらと思ってお菓子用意していたのよね。入院中に会えたらいいんだけど」
母親の悲しい横顔がやけに心に染みる。そんな顔、しないでよ。
「達樹くんもあまり愛想よくないし、立ち会う時間も空けられないなんて…こっちは大事な一人娘なのよ」
出産後の疲れた頭に、母親の嘆きが響く。結局、達樹はこの日私と娘に会いに来ることはなかった。それどころか入院最終日まで、一度も顔を出さなかったのだ。
娘を抱くたびに不安と悲しみが心に押し寄せる。どうして、この子の出産を父親が一番に祝いに来てくれないの。複数の友人に送った出産報告には、もう既読すらつかなかった。どうして誰も、喜んでくれないの。
退院の日になって、ようやく迎えに来た達樹は、なんだか酒の匂いがした。
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- ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。