一度も気づけなかった妻の本音
「明日、俺の母さんが泊まりにくるからよろしく」
夕食を食べながら、俺は妻に伝えた。1カ月ほど前、こっちで好きな舞台の公演が当たったから一晩泊めてくれないかと連絡が来ていたのだ。そういえばその予定が明日だったなと、いま思い出したのだ。
「ちょっと…急すぎない?」
「そう?まあ、よろしく頼むよ。明日は遅くなるんだ、会社の飲み会で」
「早く帰ってこれないの?」
「無理無理、職場の付き合いって大事だろ」
「…何時に来るのかしら」
「えっと…14時って言ってたかな」
「昼間に来るの?明日は幼稚園のお友達の誕生日パーティーでおうちにお呼ばれしてるの。だから、家につくのが16時ころなんだけど」
妻のくだらない言い訳にうんざりする。俺の母さんと、幼稚園だけの友達のどっちが大事なんだ。
「そんなのキャンセルすればいいでしょ。どうせ数年一緒にいるだけなんだから」
「そんな言い方しないでよ。みっちゃんの仲良しの子たちなのよ」
「みっちゃんは、ばあばに会うほうが楽しいもんな?」
眉を下げ、困りきった顔の妻。そこはもちろん、と即答すべきだろう。なぜできないんだ?俺は娘の顔をニッコリと見つめて正しい答えを促した。
「いや!みっちゃん、まゆちゃんとあきらくんと、りっちゃんとあそぶの」
意を反して、娘が首を振る。
「みっちゃん、ばあば好きでしょ?だからお友達、明日はなしね」
「やだぁ!」
ガチャン!娘が目の前にあるお茶碗をわざと倒した。小さなフォークを投げ、俺をキッと睨む。そのまま大きな声で泣きわめく娘を見て、思わず怒鳴りそうになるのをグッとこらえた。
「とにかく、明日はよろしくね」
ため息をつい会話を切り上げ、食事に戻る。視界の端に妻の震える手が見えた。耳に、娘の大きな泣き声が聞こえてきた。俺は何も間違っていないのに、どうして2人して責めるような顔で俺を見るんだ。
そうして次の日。仕事をしていると母から電話がかかってきた。
「ねえ、きょう私が泊まりに行くって伝えてくれてた?」
「うん、きのう言ったよ。もしかして、いないの?」
母は合いかぎを持っている。だから、まだ妻が帰っていないと思って電話したんだろう。
「いないんだけど…。多分もう、当分帰ってこないと思うのよ」
そしてさらに「置手紙がね、あるのよ」と続けた。