「あれ、吉永…だよね?久しぶり」
仕事を終えて電車を待つ私は、突然懐かしい声が聞こえて思わず息を止めた。松浦くん。私が昔、ひと目ぼれした相手だった。
彼との出会いが、まさかもう一度忘れかけていた恋心を思い出すきっかけになるなんて。
- 登場人物
- 吉永:「私」、この物語の主人公
- 松浦くん:「私」が昔一目ぼれした相手
ひと目ぼれした相手は、いまも変わらずかっこよくて

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「よかった、間違ったらどうしようかと思った!俺だよ、松浦。覚えてる?」
「もちろん覚えてるよ!久しぶりだね!」
10年ぶりの再会だった。
松浦くんと知り合ったのは大学のテニスサークル。1年生のときにはじめて彼を見て、私は人生初のひと目ぼれをした。
爽やかな笑顔、おしゃれなパーマヘア。背が高くて、少しがっちりした体型。聞けば高校まで水泳をやっていたという。大学では違うスポーツがしたいからと、テニスサークルを選んだようだ。ただ松浦くんには彼女がいて、私は結局4年間想いを伝えることができなかった。
気づけば大学を卒業してはや10年。もうすっかり松浦くんのことなんて忘れていたのに…。
「仕事帰り?」
「そうだよ。松浦くんもこの辺なの?」
「うん。普段は車通勤だから電車には乗らないんだけど、きょうは車じゃなかったから。めんどって思ってたけど、吉永に会えるなら電車にして正解だったわ」
きっと、松浦くんは何も考えずにそんな言葉を言っている。そう思っているのに、勘違いしてしまいそうだった。
だって大好きだったあのころのまま、10年経っても松浦くんは変わらないんだもの。
「そうだ、せっかくだし連絡先教えてよ。今度飲みにでも行かない?」
「うん、いいよ!」
スマホを差し出したと同時に、松浦くんの手元を確認した。
「松浦くん、結婚したの?」
「えっ、ああ、うん。そういう吉永こそ」
お互いに左手の薬指を見合う。私たちの指にはそれぞれプラチナのリングが輝いていて、それはつまり既婚者である証だった。久しぶりの再会だとしても、それ以上に進んではいけないよと指輪が語り掛けている。
わかってるよ。私だけだよ、松浦くんがかっこいいなってときめいたのは…。
「ちょっと、残念」
「え?」
「お互い結婚してなかったら、運命の再会だって言って恋が始まりそうだったのに」
「あはは、たしかに」
「…2人きりで飲みに行こうって言ったら、旦那さん怒るよね?」
「そうだね。でも松浦くんも、怒られちゃうよ」
「うーん、確かに。じゃあ、今度みんなで」
「うん」
ドキドキが止まらないまま私は松浦くんに手を振って、電車に乗り込んだ。顔がほてって、なんだか熱い。
2人きりでもいいよ、飲みに行きたい。一瞬でもそう思ってしまった自分が理解できなかった。私には夫もいるし、小学生の娘と、年中の息子がいる。それに彼も結婚しているんだから、妄想は漫画のなかだけにしてよね。
そう言い聞かせた私の決意を、なぜあのとき思い出せなかったのだろうか。
2回視線が交わって、もう止められなかった

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松浦くんとの再会は、想像よりも早くやってきた。
「吉永?また会ったね」
職場の新人歓迎会の帰り。私は育児を夫に任せ、久しぶりの飲み会に来ていたところだった。ほろ酔いで駅の改札に向かっていると、また聞きなれた声に呼び止められる。
「松浦くん、ほんとだ。よく会うね」
「あれ、もしかして酔っ払ってる?顔赤いけど」
「あはは、久しぶりの飲み会だったの。お酒弱くなっちゃったみたい」
「そっか。…あのさ、まだ時間ある?」
「うーん、なんで?」
「酔い覚ましに、コーヒーでもどうかなって。久しぶりに話したいし…カフェで話す程度なら不倫だって言われないだろ?」
たしかに、それは不倫じゃないかもね。お酒の回った頭でぼんやり考えて、コクンとうなずいた。
そのまま私たちは駅前のカフェに入って、大学卒業後の暮らしについてお互いに話した。
松浦くんは大学卒業後にそれまで付き合っていた彼女と別れ、職場で出会った同僚の女の子と2年前に結婚。奥さんはいま妊娠7カ月で、秋に子どもが生まれるらしい。
「お互い家庭があって、子どももいるなんてな」
「もう私たち、33歳だもんね。年取ったなぁって思うよ」
それからまたしばらく会話を続け、私は大学生のころ松浦くんに片思いしていた話をした。彼は驚いていたけれど、それと同時にうれしそうに笑ってくれる。
「吉永、結構モテてたじゃん。俺も気になってた時期あったよ。彼女いるし、ダメだなと思って耐えたけどさ」
「そうなんだ?告白してたらワンチャンあったのかなぁ?」
「さぁ、どうだろ?」
笑いながらコーヒーを飲み干して、私たちは帰ろうかと席を立つ。時刻は21時を過ぎたところ。春の終わり、生ぬるい風が吹く駅前を、ゆっくり歩いていく。ああ、もっと話していたかったな。
「なぁ、吉永」
「ん?」
「また、会えるかな」
「…どうかな。あんまり外に出れることないし…」
「そっか」
沈黙が、私たちの足をますます遅くさせる。
「もっと話したいなって、思っちゃって。ごめん俺、別に酒とか飲んでないんだけど」
「うん、私も思ってた」
松浦くんの言葉を聞いて、私は息をするように本音を口に出した。もっと一緒にいたい。大学生のころの気持ちにタイムスリップしたようだった。私、松浦くんがまだこんなにも好き。
思ったとき、視線が数秒絡まった。
「あ、ごめん…」
困らせてしまう、だって彼には家庭があるから。
そう思ってもう一度松浦くんの顔を見たら、彼も私の目をまっすぐに見つめていた。
2回絡まり合った視線は、もうほどけることがない。私たちは腕を絡ませ、飲まれるように夜の繁華街へ消えていく。
気づけばホテルの一室で、私たちは会えなかった時間を埋めるように互いの体温をたしかめ合っていた。