デジタル社会ならではの問題
現代ではインターネットが普及し、無数の情報を簡単に入手できるようになりました。
デジタル社会では、調べたいワードを検索するだけで1秒も経たないうちに読みたい記事が現れますし、日本だけでなく海外の風景もネット上で見ることも可能とされます。便利と思える時代ですが、デジタル社会ならではの問題も忘れてはなりません。
情報過多は、どのリソースを信頼して選ぶかを個人に委ねることとなります。しかし、無数の情報を全部比較して選抜するのは不可能なこと。そこで、多く拡散された情報が有利となるのです。
たとえば、我々がネット上で記事を読むときは、検索で一番上に出てきた記事を読むことが多く、Twitterではバズった投稿が共感されやすい傾向にあります。
これらはオンラインという場での話ではありますが、リアルではない空間とリアルな空間が混在されることもしばしばあります。
「このラーメン屋はバズってたから絶対に美味しい」「芸能人がテレビで言ってたことだから、この美容器具は信用できる」と、自分の目でたしかめる前に情報を鵜呑みにしてしまう可能性があります。
知名度のある人や媒体により情報が広まることは多々ありますが、必ずしもすべてが信用できるわけではありません。
大事なのはさまざまな価値観
このように拡散された情報が「正しいもの」として認識されやすくなることで、童貞に関する偏見が助長されたと考えられます。
「童貞」と検索すると、「童貞を卒業する方法」「童貞でも焦らなくてもいい」といった記事がヒットし、異性と経験していることが優位である前提があります。これらの記事を目にすることで、社会でのいいポジション、いわゆる強者が確立されていくことにつながると感じるのです。
行為自体に関心のない人や童貞であることに悲観的に思わない人でも、入手する情報に偏りがあることで、童貞が恥じるべきものとして認識してしまうこともあります。
いまや多様性が謳われる社会で、さまざまな価値観をアップデートしようとする動きがみられていますが、まだまだ童貞に対する価値観の変化は遅いように感じます。
LGBTQ、女性のあり方、人種など、新しい価値観や情報が発信されています。各話題によって問題や議論する内容は異なりますが、それらを語る前、前提として、さまざまな価値観があることが認知されるべきではないでしょうか。