それぞれの秘密
タワマン内で不倫をしている、そんな吉川さんの言葉が耳から離れないまま数日が経った。
最初はすれ違う夫婦を見るたびに「この人たちも不倫なんじゃないか…」と思ったが、実際にはそんなことなんてない。たまたま吉川さんやその周りに不倫する人がいただけだろう。
「なるほどねぇ。吉川さんだけではないけど、常識でもないって感じか」
「だからって不倫する人の気持ちはわからないけどね」
最近このタワマンの近くで習い事を始めたという姉が、また目の前でお茶を飲みながら肩をすくめた。
「もしかしてこれから、毎週土曜日はうちに来るつもり?」
「いいでしょ。近くに来たのに寄らないのも変じゃない」
「習い事始める前だって来てたじゃない」
「あはは、ごめんね」
姉の顔を見て少しため息をつく。だけど広すぎるリビングに1人でいるより、誰かと一緒にいたほうが退屈しないのはたしかだった。
夫は基本的に平日休み。私は平日と土曜日の週休2日。こういうとき、姉が来てくれると寂しくない。
「でもなんだか住みやすそうだし、私も夫とこのタワマンに引っ越そうかなって考えてるところ」
「引っ越してきたら習い事も職場も近くて便利になるね」
「そうなのよ、いろいろ好都合なの」
姉がもし同じタワマン内に引っ越してきたら楽しいだろうなと想像する。
変な話、不倫しないようにお互いを監視しあえるし…そう思いかけてハッと止める。まさか、私たちに限って不倫だなんて思い浮かぶはずがない。私たちのなかではあり得ないことだ。それは変わらない。
習い事の時間だと言っ立ち上がった姉をエレベーターまで見送る。しかしドアが閉まってから、姉の荷物を手で持ったままだったことに気がついた。
「わ、大変!」
慌てて追いかけようと「下」のボタンを押す。間に合うだろうか?ぱっと階数表示を見ると、姉を乗せたエレベーターは3階で止まった。そしてすぐに同じエレベーターが登ってくる。
「あれ?1階まで行かなかった」
エントランスは1階。姉は1階で降りるはずなのに、3階で止まってエレベーターはすぐ登ってきた。
「3階には、住人の部屋しかないのに…」
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- ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。