2度目の不倫
健太郎さんとはそれからしばらく連絡を取らなかった。だけど、夫では満たされることのない心のスキマを埋めてくれるのは健太郎さんしかいなかった。
だからスキマが空いたまま、ずっと心に虚無を抱えて季節は一周した。
またいつものように帰ってこない夫。まるで私が不倫したという事実から目をそらすかのように、夫は仕事に精を出した。
「もう少し、家庭のことも考えてほしい」
一度だけ夫に話したことがある。
「お金なら入れてるだろ」
疲れてるからもうその話はやめてくれと、夫は私の顔すら見てくれなかった。
子どもたちの行事に、最後に顔を出してくれたのはいつだっけ?誕生日を家族4人でお祝いしたのはいつが最後?夏休みの旅行を家族でしたことはある?行きたくもない会社の懇親会に連れていくのを、もしかして家族孝行だと思ってる?
寂しくて寂しくてたまらなかった。パートから帰ってきて、子どもたちの勉強を見て、家事をして、寝かしつけて、夜になったら1人で晩酌。まるでシングルマザーみたいだなと思った。
一緒に子どもの成長を喜び合うパートナーの存在がほしかった。この指輪に何の意味もない。愛もない、希望もない、ぬくもりもない。
気づいたときには、私はまた健太郎さんに電話をかけていた。息子が小学5年生を迎えたころだった。
「もし離婚したら、俺はいつでも受け入れる覚悟ができてるよ。そのためにずっと、俺は待ってるからね」
優しい言葉をささやく健太郎さんに会うと、もう離れられないと確信した。
健太郎さんは私に一度も離婚しろとは言わなかった。前より会うのに慎重にはなったけれど、何も文句を言わず、私と子どもたちに寄り添ってくれた。
理由はわからない。愛するのに理由なんていらないんだと一度健太郎さんは教えてくれた。
一度目の不倫がバレてから、健太郎さんは転職したという。
「不倫相手が同じ職場で働いてるなんて、普通はイヤだと思うんだよね」
「2度目の不倫」がバレた夜
2度目の不倫は、バレるべくしてバレたのだろう。夫を騙し続けていた自分への罰だと思った。
その日、私は健太郎さんと夜の繁華街でお酒を飲んでいた。中3になった息子と中1の娘が、「たまには2人で飲みに行ってくれば?俺たち、もう留守番できるし」と送り出してくれたのだ。
「2人にお土産でも買っていこうか。ケーキがいいかな、僕おいしいお店見つけたんだよ」
「きっと2人も喜ぶよ!ケンちゃんは次いつ来るのって、楽しみにしてるんだよ」
「そうだなぁ、夏になったらキャンプとか行きたいね。もうしばらく家族旅行はしてないんだろ?」
「うん。懇親会に行くのやめてからはさっぱり…ちっとも家族の思い出なんて作ってやれてない」
「じゃあ行こうよ、計画しよう!」
キラキラ顔を輝かせ、子どもたちの喜ぶ姿を想像する健太郎さんが頼もしくて仕方がなかった。ああ、この人が本当に2人の父親だったらよかったのに。不倫相手なんかじゃなくて、私たちの家族だったらよかったのに。
そんなことを考えて健太郎さんに寄り添ったとき、目の前から見知った人物が急ぎ足で近寄ってきた。
「あなた…」
夫が顔を真っ赤にして私たちのところまでやってきて、勢いよく健太郎さんをビンタした。
「ふざけるな…!」
人目もはばからず健太郎さんに怒鳴り、そのまま夫は、私と健太郎さんを家に連れて帰ったのだ。
「一度目は見逃してやったのに、なんで二度も!お前は、どれだけ俺を裏切れば気が済むんだ!」
夫が、静かに怒鳴る。健太郎さんはその間、私が殴られないようにと盾になってくれていた。ただ事ではない様子に気づき、息子と娘が部屋から出てくる。
「父さん、何してんの?」
息子が父親の怒り狂った様子を見て静かに尋ねた。
「見ればわかるだろう」
「…母さんとケンちゃんを怒ってるの?」
「ケンちゃん?お前、母さんの不倫を知ってたのか」
「…知ってたよ」
夫の怒りがどれだけのものなのか、私には想像することができなかった。妻の二度目の不倫、不倫相手は元部下。子どもたちもこの事実を知っていて、知らなかったのは自分だけ。
「バカにするな、俺は父親だぞ」
怒りの矛先は健太郎さんに向けられた。夫の挙げた拳が、そのまま健太郎さんの頬へ―…
「やめろ!」
どごっ、という鈍い音と共に吹き飛んだのは、息子だった。息子が健太郎さんをかばったのだ。
私は頭が真っ白になって、飛ばされた息子に駆け寄る。息子の頬が真っ赤に腫れ、口の横から血が出ていた。
「何が父親だよ!家族のことなんて知らんぷり、俺らの運動会も発表会も、卒業式だって一度も来なかったじゃねえか!」
「家族のために働いてることの何が悪いんだ。お前らの学費だって俺が出してるんだぞ!」
「働いて金稼ぐだけが父親なのか?じゃあいらねえよ!ケンちゃんは俺たちに優しくしてくれる、勉強も教えてくれる、悩みだって聞いてくれるし、ときには叱ってくれる。父さんは何をしてくれた?金を稼いだだけで何もしてねえよな!」
息子の叫びがリビングに響き渡った。娘も、私も、健太郎さんも、ただ見つめることしかできなかった。
「いまさら父親面なんてするんじゃねえよ!母さんとケンちゃんに文句言いてえなら、まず父親らしいことやってからにしろよ!」
気づけば息子は涙を流し、娘も私の腕のなかで声を殺して泣いていた。