いい人だけど、合わない人
「ああそうですか。あなたがそんなに融通利かない人だとは思ってなかった。じゃあ私もあなたが病気しようが怪我しようがリストラされようが一切助けないから」
「何その言い方、そういうのは支えてよ~妻でしょ?」
「は?私の骨折だって、支えてよ!夫でしょ?」
「だって俺は稼ぎ頭だけど、芹那は違うじゃん」
「じゃあ家計だって稼ぎ頭がお金を多く出すべきでしょう」
「それとこれとは話が違うよ。俺は自分のために働いてるんだから」
その言葉で限界がピークに達し、私はそっとリビングの棚から緑色の紙を取り出した。
「なにそれ」
「離婚届」
「…え?」
「サインして」
「無理だよ、何言ってんの?」
「それはこっちのセリフ。あなたとはもう無理だわ」
いま退院して持って帰ってきたばかりの、着替えが詰まったボストンバッグを再度肩にかける。
「ちょっと、どこ行く気?」
「実家に帰る」
「なんで?」
「もうストレスだから」
「は?」
「サインしたら連絡して。取りに来るから」
「ちょっと待ってよ、離婚って大げさでしょ!そんなに金出したくないの?」
「もう、そういう問題じゃないよね」
そのまま勢いに任せて玄関まで歩く。苛立ちで思わず手が震えていた。靴を履いて、一回深呼吸をする。
「ねぇ待ってよ芹那。もうちょっと話し合おうよ」
「話し合うって、たとえば?」
「芹那が転職するとかさ、いろいろ方法はあるじゃん。俺の金を貸すとか」
「あなたが支払いを増やすって選択肢はないの」
「それはちょっと…」
はぁ、とため息をついて玄関を開ける。話が通じない。こんな人との暮らしに時間を割くくらいなら、もっと経済的な価値観の合う人を探したほうが早い気がする。
「きゃっ」
玄関を開けると、驚いて後ずさりする女性がいた。姑だった。
「お、お義母さん!」
「芹那さん、大丈夫?退院したって聞いたからお見舞いにいくねって、さっき広大に連絡したんだけど…」
夫は忘れてたといった具合で、申し訳なさそうに下を向く。
「あと、話を聞いてたの。ごめんなさい、聞き耳立てるつもりはなくて…家計のことよね?」
姑の言葉に、夫が再び前を向く。
「先日広大にも話したんだけど、俺たちのやり方に口出すなって言われちゃってねぇ」
「そうだったんですか」
「広大は広大で、やり方を変える気はないんだなぁって。一度こうと決めたらこう、ってまっすぐなところがあるのよね。あなたは」
姑が夫ににっこりと笑いかける。夫は自分の味方をしてくれると思ったのだろう、姑に向かって「それが俺のいいところなわけじゃん!」と言い出した。
そんな頑固すぎるところが長所だなんて。もう少し融通利くようになってくれと心のなかでつぶやく。
「そうね、場所によってはそれが長所になるでしょうね。でも夫婦で協力して生活していくなかで、その変なプライドは相当邪魔ね。芹那さんが本当に、かわいそうだわ。あなたのどうでもいいルールに振り回されて、人生を棒に振るところだった」
姑は冷たく言い放ち、ふぅとため息をついた。
「芹那さん、もし離婚するってなっても、私は反対しないわ。むしろごめんなさい。あなたがそう考えるのも無理はないと思う。この状況で転職するのを検討しろなんて言われたら、私も出ていくわ」
「お義母さん…」
「ま、待ってよ。俺が間違ってるっていうの?」
広大が半分泣きそうな声で呟く。
「間違ってはいないんじゃない?そういう考えの人もいるわよね。でも、私とは合わないみたいなの。ごめんね」
私はそう言って姑に頭を下げた後、治ったばかりの足で地面をしっかりと踏みしめ、家から出た。
その後広大は母親に説得されても考えを改めることができず、私との離婚を選択。協議離婚でスムーズに離婚が成立した。
「いい人」と「価値観の合う人」は違う。広大との暮らしは楽しく幸せだったけど、価値観の違いが大きなほころびを産んでしまった。
結婚前にしっかり家計のことは相談しないとね…と、私はいまさら学ぶのだった。
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- ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。