遭遇。そして禁断の関係へ…
1週間後の金曜日の夜、ゆかりは趣味の観劇に出かけていた。
劇中に出てきた初々しいカップルを思い出し、佐々岡を想う私のようだと少しドキドキする。
先週の土曜日。桜が泣いていたのは、部活の練習試合で負けてしまったからだった。友人や部員とのトラブルではなかった。
「桜さん、その後も部活では気持ちを切り替えて頑張っているそうです。顧問の先生も、大丈夫だとおっしゃっていました」
「そうですか…安心しました。娘に何かあったんじゃないかと不安で不安で」
「そうですよね。僕でよければいつでも話を聞きますから」
昼間に佐々岡からかかってきた電話を思い出し、脳内で佐々岡の声を繰り返す。心地よい声色。ゆかりの心をスッと癒してくれる、優しい口調。
せっかく劇を見に来たのに、佐々岡との会話を思い出しては集中力が途切れていた。
「はぁ、恋かも、ダメね。既婚者なのに…」
大したきっかけがあったわけではない。最初はかっこいいからという理由だけで佐々岡に惹かれていた。
それがいつしか冷たい夫と思春期の娘と過ごす日々の癒やしになり、ゆかりの心を優しく包み込む大きな存在になっていた。
挙句の果てに連絡先を教えてくれて、特別扱いされるようになって…。日々の暮らしにうんざりしていたゆかりにとって、佐々岡に好意を寄せるのは当然の流れだったのかもしれない。
「寂しいから気になっちゃうだけかも。でも、元気をもらえるのよね」
佐々岡の顔や声を頭に浮かべ、少しほほを赤らめる。
そのとき目の前に、まさにいまゆかりが想像していた男性が突然姿を現した。仕事終わりであろう彼は、劇場から帰るゆかりの前を横切っていく。
「佐々岡先生…!」
思わず声をかけると、佐々岡は振り向いた。
「えっと…桜さんのお母さん…?」
「はい、そうです!いつも娘がお世話になっております」
「いえ、こちらこそ。こんなところで会うなんて!」
驚きつつも身体をゆかりのほうに向け、ニッコリ笑う佐々岡の姿に、ゆかりは心臓が飛び出しそうなほど緊張した。
「仕事帰りですか?」
「ええ、来週期末テストなので、準備もあってきょうは少し遅くなってしまいました。小泉さんはお出かけですか?」
「はい、そこの劇場へ…これから一杯飲んで帰ろうかなと思っていたところです」
ゆかりは近くに会ったバーを指さし、「あのバー、よく観劇の帰りに行くんです」と言った。
「いいですね、おいしそう。僕、全然バーとか詳しくなくて」
仕事終わりの一杯とか憧れます、そう言ってはにかむ佐々岡が、ゆかりの目にはとても愛おしくみえた。
「よかったら先生もご一緒にどうですか?いつものお礼に、一杯おごりますよ」
下心がないと言えばうそになる。佐々岡との距離をもっと近づけたい、もっと親密な仲になりたい。ゆかりはそう思っていた。その本音を「いつもお世話になっている担任に、お礼がしたいだけ」という理由で隠す。
私はただ、お礼をしたかっただけ。
NEXT:2022年7月1日(金)更新予定
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- ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。