「離婚したくない」懇願する夫
「待って、待ってよ…!」
利樹は突然床に座り、土下座をした。
「ごめんなさい、もうしません!本当にごめんなさい、魔が差しちゃっただけなんです…!入院中のストレスで、だから」
「だからなに?」
「だから、えっと。許してください、俺頑張るから!いまは信用できないと思うけど、もう二度とこんなことしないし、反省してるから…!時間をかけて直美の信頼を取り戻すから、ごめんなさい!」
みじめだ、と思った。みっともない。じゃあ最初から不倫なんてしなければよかったでしょ。
「もう無理だよ」
「ごめんなさい、頼む…!離婚なんてしたくないよ!」
「は?」
思わず大きな声が出る。
「この先の人生、あと60年近く、ほかの女を抱いて私を裏切ったあなたと一緒に生活したいと思えない。たった一度の人生なのに、どうして苦しみを我慢して生きなきゃいけないの?おかしいでしょ!」
気づけば涙があふれていた。怒りで頭が爆発しそうだった。
「ごめん…本当にごめん。でもお願い、一度だけでいいからチャンスをください。お願いします」
利樹の目は真っ赤になっていた。泣いているのだ。涙を流しながら、私に許しを乞う(こう)ている。
なんであなたが泣くのよ、おかしいでしょ。最初から想像できなかったの?私は利樹の情けない素顔を黙って見つめ続けた。
結局、利樹との話し合いは平行線のまま数日が過ぎた。利樹は中塚の連絡先を消し、スマホにGPSアプリまで仕込み、「絶対に不倫しない」と誓約書まで書いた。
本当に反省したのだろうか。反省していたとしても、もう一度利樹を好きになれる気はしなかった。でも、少し様子を見てみようと思ったのだ。
「直美、相談があるんだけど。実は俺、転院を考えてて…」
「は?転院?なんで」
「えっと、周りの目が気まずくて…リハビリのときも結構居心地が悪いんだ」
「へぇ。自業自得でしょ」
居心地が悪くなるのなんてわかってたことだろう。その場の欲に流されて、先のことなんてちっとも考えていない。
「そう、だよね。わかってる」
「転院したいなら勝手にすれば?私の病院じゃないし」
「うん…」
数日後、利樹は転院した。
たしかに周囲の視線は厳しいものだっただろう。看護師と不倫した挙句、その看護師は自主退職。一緒に働いていた看護師たちにしてみたら「シフトに穴開けられたのはこいつのせい」と思うはずだ。
「ねえ、今週末リハビリだよね?」
「そうだよ」
「ついていっていい?転院先の病院の雰囲気が知りたい」
「え!?いや、いいよ。時間長いし悪いから」
転院先の病院は電車で片道40分かかる場所にあった。リハビリに定期的に通わなければいけないのに、これじゃあ少し遠い。なぜわざわざここを選んだのか、私は不思議で仕方がなかった。
不思議に思うのと同時に「もしかして」というひとつの疑惑が浮かんでいた。
「だって電車で40分もかかるんでしょ?私車で送ってくよ。足、まだ本調子じゃないんだから」
正直利樹にこれ以上構いたくなかったし、どうでもよかった。電車で行くことになろうが通院時間が長かろうが、正直もう関わりたくなかった。
でもあのとき「一度だけチャンスをくれ」と言っていた利樹の言葉が本当なのか、たしかめたかったのだ。
しかし、利樹はかたくなに私が病院に付き添うのを拒んだ。