すぐにはわかってもらえなくても…
摂食障害は、「どうして食べられないのか」「どうして食べ過ぎてしまうのか」といったことをわかってもらうことがとても難しい病です。時に「わがままだ」といわれてしまうこともあり、とても辛い気持ちになることもよくあります。
でも、きっと言葉にしたかたも傷つけようとしていったわけではなく、「本当にわからない」そんな病なんだと思います。本人でさえ、原因や恐怖の源になっていることが本当にわからない…そんな病です。
私が発症した20年前は、摂食障害はいまよりずっと謎の病だったので、私も、そして両親も、いろんなことをいわれました。
あまり摂食障害の知識のない病院の先生から、「わがままにさせたのはお母さんです」といわれたこともあり、母をとても辛い気持ちにさせてしまったこともありました。
前述のように、だんだん食事ができなくなっていき、病院に入院することになったころには、小学校4年生で体重12kgしかなく、写真を見返すと本当に骨と皮だけのカラダです。
栄養をいれる点滴も、そのときの私には「悪いもの」「太らされるもの」としか思えず、何回も何回も抜いてしまい、先生や看護婦さんを困らせてしまいました。
そのときは10カ月ほど入院したわけですが、その間にも意識を失ったり、腸閉塞を併発して何回も生死をさまよいました。
摂食障害は本当に怖い病です。でも、ひとりとして命を落とさないでほしい。本当にそう願っています。
摂食障害でも夢は叶うし、幸せになれる
ダイエットの延長とは違い、摂食障害には心の問題が隠れていて、それを解決していくと「摂食障害」という杖に頼らなくても生きていける「自分」になっていけるわけですが、この病と向き合うためには、相当な時間と根気が必要です。
でも、私が伝えたいのは、ただ恐ろしい病だということだけではなく、摂食障害になっても、摂食障害がたとえ完治しなくても、ともに歩んでいける、前に進んでいく、そんな生き方があるということです。しかも幸せに!
摂食障害になったからこそ、気づけること、学んだこともたくさんあるはずです。
摂食障害は「症状」ですが、「この生き方をしていては辛いよ、限界だよ」と教えてくれるサインでもあります。
摂食障害が長引くと、「私はダメな人間だ」「みんなと同じように食べられないなんて…」と自分を責めてしまいますが、そこから自分に合った食べ方を見つけていくこともできるし、普通に食べられなくても見守ってくれる人は必ずいます。
私も「普通に食べられる人」を演じようとしていたときは辛かったけれど、「残しても、食べられるものだけ食べても、それでもいい」とまずは自分が自分で思ってあげられたとき、そのままの自分でも認めてくれる人はたくさんいることに気づくことができました。
「普通には食べられないかもしれないけどそれでも大丈夫!」と思えるようになりました。「プロボウラーになる」という夢も叶えることができました。
私の場合はたまたま食べることに症状が出ましたが、「どんな自分でも大丈夫だよ」といつもいつでも自分を認めてあげるようにしようと、難しいけど思っています。
同じ病で苦しんでいるみなさんに、絶対に命は落としてほしくないと強く願います。そして自分を責めてしまうときは、嘘でもいいから「大丈夫だよ」といつも自分に声をかけてあげてほしいな。そんな風に思います。
メルマガ「プロボウラー安藤瞳のボウリングワールド」では、ボウリングの技術向上のための知識だけではなく、摂食障害に関する発信もしていきます。
同じ病で辛い経験をしているかたや、まわりに摂食障害で苦しんでいる家族や友達がいるかたに、少しでもヒントになることをお届けできたらいいなと思っています。
- image by:Unsplash
- ※掲載時の情報です。内容は変更になる可能性があります。