私の娘は、年少さんのときに幼稚園を途中退園しています。当時は途中退園したことで気がかりなことがたくさんありました。
たとえば「先生への退園理由はどうしようか」「周囲にはなんて説明しようか」とか、「実家の両親にはなんていおうか」「小学校入学までの期間はどんな風に過ごそうか」、「せっかくできた友達と離れ離れになるけど娘の心は大丈夫かな」などなど。
気がかりなことの大半は「人の目」でしたが、いざ途中退園してみたら、本当にまったく問題なかったのです。
始まった、最初の幼稚園探し
私たち家族は娘の小学校の入学を見据えて、3度ほど引っ越しをし、現在に至ります。
いまでこそ「自由な学校教育」を求めている私たちですが、初めからそうだったわけではありません。そもそもそういった魅力的な小学校は県外にしかなく、幼稚園に通っていた当時は「わざわざ学校のために県外に行く?ないない!それは…」と思っていました。
小学校なんて、まだまだ先の話。保育園や幼稚園だって魅力的なところはあるから、まずはそこに行ってから考えてもいいのではないか、と。
「いまの環境でできることって何だろう」という視点から、自然体験の機会が多い幼稚園の体験会に何度も足を運んでみたり、私立幼稚園で自由教育を実践しているところを探ってみたり。
その結果、家から通える「まぁ、ここならいいだろう」という新潟県内の保育園に通わせることにしたのです。当時は「家から通える」っていうのは絶対条件だったし「保育園(幼稚園)の段階では義務教育の弊害はそれほどないだろう」と思っていました。
そもそも、娘は小さいころからたくさんの人に触れてきていたので「順応性が高いし、どこに行っても楽しめるだろう」と考えていたのです。
娘からのSOS
最初の慣らし保育の段階では、少し泣いたり駄々をこねたりすることはあったけれど、4月の後半には随分と園生活に馴染んでいるようでした。
私自身も「子どもが楽しむには、親も園を楽しむことが大事!」という思いがあり、園の行事には積極的に参加していました。「1日先生体験」もやったし、夏祭りは夫と2人で仮装して子どもたちを喜ばせた。
でも、3カ月ぐらい経ったころからでしょうか。「娘は保育園を休みたい…」というようになったのです。
始まりは「お腹が痛い」だったと思います。「行きたくなければ行かなくていい」という方針だったので、2つ返事で休ませていましたが、その頻度がだんだん多くなってきた。
しかも、どうも本当にお腹が痛いわけではなさそうだったのです。よくよく探ってみたら「先生が怒ると怖い」とか「お昼寝がイヤ」とかポロポロと行きたくない理由を口にし始めました。
一時的な思いという可能性もあったので「休みたい」といってもなんとかうまいことをいって、娘の心をなだませつつ、通わせることももちろんやっていました。
「友だちが楽しみにしているよ!」「先生が待っているよ!」「楽しい行事があるよ!」「美味しいおやつがあるよ!」「面白い遊びがあるみたいだよ!」最初はその口実で娘の心も反応していたけれど、長くは続かなかったのですよね。
当日になって「やっぱり行きたくない」といったり、先生から連絡がきて、途中で迎えに行くことになってしまったり。ずっと認めたくなかったけれど、もう認めざるを得ない状況になってきていたのです。
娘からのメッセージは、私たち夫婦がずっと抱えてきた「義務教育に対する違和感」に対して起きていて、モヤモヤとした心が娘にも投影されているように感じました。
「このままでは娘の心が壊れてしまうかもしれない」そう感じるようにもなってきて、私たちは真剣に話し合いを始めました。そして決めたのです。義務教育の違和感を抱えたまま進むことはやめよう。自由な教育を提供してくれる学校に通わせるために、いま、動き出そうと。