娘も、私も限界だった
年長さんになったころ、同じクラスの男の子たちも成長して周囲が見えるようになり、娘は特定の男の子たちからバカにされるようになりました。
小さかったので、「チビ」とか「足が遅い」といわれたり、遊びの輪のなかに入れてもらえなかったり、トイレの中に閉じ込められたり…先生に助け船を求めても、これといった解決にもならず。
「もう行きたくない」と娘は涙を流すようになり、私たちも「もうこれ以上は無理」と判断しました。というよりも「もう、行かなくていい」と。
結局、年長さんの10月末で退園。最後はずっと休んでいたので、フェードアウト。まさかまさかの途中退園になりましたが、幼稚園に行かなくなったら、本当に気持ちがラクになりました。
つまり、娘はもちろんのこと、私も苦痛だったようなのです。毎度「休みます」の連絡をすること、先生から「お母さんはどんな声かけしているのですか?」と問われることが。
さすがに「行かなくていい」といっていることは伝えられず、いつもモヤモヤしたきもちで嘘をついていました。先生から見て「良識のある親」でありたかったのですね。
11月からは、またのんびりとした日々が始まりました。「幼児教育として何か小学校入学前までにやっておくことがあるかもしれない」という気がかりもありましたが、受験した小学校が自由教育を提唱していたこともあり、特に何もしませんでした。
この時期の娘にとっての学びのアイテムは配本システム「童話館」から送られてくる絵本のみでしたが、このシステムには本当に支えられました。娘に新たな世界を広げてくれるものとして、その存在はとても大きかったと感じています。また図書館にもよく足を運んでいたので、いまでも本は大好きでよく読んでいます。