クィアマガジン「purple millennium」を運営し、LGBTQ当事者としての経験や考えを発信している、Honoka Yamasakiです。
「セクシズム(性差別)」という言葉が若者を中心に使われ、少しずつ性差別についての問題意識が高まったかと思いきや、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の前会長である森喜朗氏による差別発言が耳に入ったりと、まだまだ差別的な社会構造が浮き彫りとなる世の中。
問題視する人と、差別だと気づかない人がいるのは、性に関する認識が不十分だからでしょう。性差別を解消するには、その認識のギャップを埋めることが求められています。
さまざまな個性があって当たり前
私自身が20代半ばであるため、友達の年齢層も同年代が大半。社会問題意識を持つ人が比較的多かったり、同じ感覚で話ができていると思います。
日ごろそういった友達から価値観を吸収しているからか、テレビ番組に出演されているコメンテーターの方々の発言等を見ると、男女の枠組みに当てはめようとすることがまだまだ多いと感じます。たとえば、「メイクをしている男性はゲイ」「女性なのにバリバリ働いている」など、既存の性役割をベースとして進行されがちです。
そして、そういった「らしさ」に縛られることは、若者世代に比べると上の世代の人が多いようにも感じるのです。
学生服メーカー「菅公学生服」が生徒の環境や意識・ライフスタイルについて調査を行うカンコーホームルーム(PDF)によると、「LGBTQの言葉を知っている」と答えた割合は、10代は68.7%、20代は66.3%、60代は半数を下回る47.7%という結果になりました。
この調査は2019年に実施されたので、現在ではさらに認知度は高まっていることが予測できますが、10代、20代と60代との間に約20%の差が生まれるのも、当たり前だとは思ってしまいます。
というのも、世代により触れてきたものも見るものも違うからです。特にいまの若者世代は、SNSの普及により自分の思想を発信することが主流となってきており、さまざまな情報や意見が交差するなかで、自分の意思を持って主張することや議論することが、昔と比べて増えてきたように感じます。
最近では、セクシュアリティやジェンダーだけでなく、愛のありかたについても耳にする機会が増えました。
私が以前、性的感情や恋愛感情を抱かない(もしくはほとんど抱かない)という意味を持つ、「アセクシュアル」「アロマンティック」という言葉を知った際、たまたま友達がアセクシュアルであることをカミングアウトしてくれたこともあります。
こうした「マイノリティ」と言われるような人でも世の中には普通に存在し、そういった個々のアイデンティティやありかたの多様性を実感することで、既存の性役割やらしさがいかに無意味なものかを再認識することができました。