誰にでもひとつはある、友達だから言えない秘密や、恋人だから言えない秘密、そして家族だからこそ言えない秘密。
今回は、元ドラァグクイーンのなっちゃんが家族に言えなかった秘密と、その秘密を守ろうとした3人のドラァグクイーンを描いた映画『ひみつのなっちゃん』を、なっちゃんと同じくセクシュアルマイノリティである筆者がご紹介します。
『ひみつのなっちゃん』あらすじ
ある夏の夜、元ドラァグクイーンのなっちゃんが急逝した。
新宿二丁目で食事処を営んでいたなっちゃんの死をきっかけに、バージン、モリリン、ズブ子の3人は、生前秘密主義だったなっちゃんが、自分がゲイであることやドラァグクイーンをしていたことを家族に隠していたことを知る。
慌てて探し出したなっちゃんのアパートに忍び込み、なっちゃんの秘密の隠蔽を図る3人。しかし、なっちゃんの母・恵子と鉢合わせてしまう。
その場はどうにか誤魔化すも葬儀への参列に誘われてしまい、“普通のおじさん”を装い、故郷である岐阜県群上市を目指すことに。
実力派俳優として活躍する滝藤賢一の映画初主演作品。渡部秀、前野朋哉とともになっちゃんを慕うドラァグクイーン3人組を演じた。
本作が商業映画デビューとなる田中和次朗脚本・監督の、2023年公開作品です。
親へのカムアウト
自分たちに自宅の住所も出身地も秘密にするほど秘密主義者だった、なっちゃんの死。
後輩ドラァグクイーンであるモリリンは、「なっちゃんがゲイのドラァグクイーンであったことを、彼女の家族にバレないように隠さなければ!」と思い立ち、ドラァグクイーン仲間のバージン、そしてズブ子に提案します。
初めは提案に戸惑っていたふたりでしたが、お世話になったなっちゃんのことを思い出し、協力して秘密を隠蔽することに。
3人にとって、「なっちゃんがゲイだと家族へカムアウトをしていないだろう」ということはそれだけ極々自然で、秘密を隠し通してあげることがなっちゃんのためになると考えたのです。
実際なっちゃんは、都会から遠く離れた故郷で男性として生まれ育ち、ゲイであることや女装をしていることは、親はもちろん、おそらく誰にも言えていなかったようでした。
モリリンは小学生のころ、両親に自分がゲイであることをカムアウトしましたが、両親が人前に出る仕事をしていたことから、彼がゲイであることは周囲へひた隠しにされてしまいます。
そんな過去があったからこそ、モリリンはなっちゃんの秘密を隠さなければとふたりに呼びかけたのでしょう。
一概に言えることではありませんが、セクシュアルマイノリティ当事者の多くは、自分の性的指向(どんな性別に惹かれるか、もしくは惹かれないなど)や性自認(自分が自認している自分の性別)を周囲に隠した経験があるもの。
特に現代の日本においては、年齢がうえであればあるほど、その傾向はおそらく強いと言っていいと思います。
モリリンに呼びかけられたふたりにも、思い当たるフシがあったはずです。
当事者でもある筆者も、故郷で暮らしていた学生のころは、両親に心の性についての不安や、同性の恋人がいるなんて口が裂けても言えませんでした。
なっちゃんが隠してきた気持ちは、本当によくわかります。
両親に受け入れてもらえるのか、もし否定されたらどうしよう…。
家族だからこそ不安に思い、カムアウトをしようなんて考えもしませんでした。
そんな筆者のカムアウトがかなったのは、大人になってからです。
大学進学に伴い故郷と親元を離れてひとり暮らしをはじめ、そのまま大学のある都会で就職。
2015年、渋谷区が自治体としてパートナーシップ制度を開始したことで、LGBTQ+についてよく取り上げられるようになってから、時代の後押しによって両親へそれぞれカムアウトをすることができました。
両親と住まいを別に構えていて、普段顔を合わせずに済むようになっていたのも背中を押したと思います。
もし時代が違ったら、もし親元を離れず地元で暮らしていたら、カムアウトはできていなかったかもしれません。
“普通”を振舞う
なっちゃんが暮らしていたアパートに忍び込む3人。
化粧品などの“証拠品”をまとめていた真っ最中、運悪くなっちゃんの母親に出くわしてしまいました。
自分たちがゲイであることがバレれば、なっちゃんがゲイだったこともバレてしまうという危機的な状況で、3人は異性愛者の男性を演じます。
そう、“普通のおじさん”を。
ドタバタと慌てて、男性らしい服装に着替え、男性らしい仕草や言葉遣いでなっちゃんの母に接します。
この作中でも指折りのコミカルなシーンですが、3人がおそらくこれまでこのように誤魔化してきたことも伺えます。
主人公のバージンは、ゲイ仲間の前と同じ女性的な服装や振舞いのまま経理事務の仕事に就いていて、同僚たちとも良好な関係を築いている。筆者はこれがとても嬉しかったです。
たった数分にも満たない短いシーンでしたが、バージンが自分らしく働けている自然な風景に希望を感じました。
筆者は数年前に転職をする以前、同性のパートナーと同棲していることを隠して働いていました。
どこに出しても恥ずかしくない、愛する、大切な生涯のパートナーです。
しかしどんなに愛しているパートナーでも、カムアウトをしない限り、いつも“仲のいいルームメイト”でした。
何度も何度も、息をするように、愛する彼女を友人やルームメイトとして扱い、「恋人は要らない」なんてうそついて。その度にかんなで薄く心を削られていくのを感じました。
そんな辛さを知っているから、バージンはいま自分らしく働けているのだと思うだけで、ホッとしました(※筆者もいまは彼女とのことをパートナーとしてオープンにして働いています)。
そうやって誤魔化してきた経験があるので、僕には3人が異性愛者を装うちょっとクスっとさせるシーンがなんだか切なくて、愛しいのです。
“なっちゃん”という生き方
なっちゃんの葬儀へ向かう車内、モリリンは「いいのかなぁ、私たちみたいなのが行っても」ともらします。
いくら彼女の母親からのお誘いであっても、自分たちもなっちゃんと同じ、ゲイのドラァグクイーン。
前述のように親からもひた隠しにされる存在だと思うと、二の足を踏みたくもなってしまうでしょう。
俯くモリリンにバージンは、ハンドルを握ったまま、かつてなっちゃんが自分にくれた言葉を口にします。
「ドラァグクイーンってゴテゴテ着飾るわけじゃない?でもなっちゃんは言ってた。いくら着飾っても、その人の世界観は内面から出てくるって」。それから、「だから私は見たくなった。なっちゃんという人間の最後のショーを」と続けました。
なっちゃんは秘密主義で、家も教えてくれなかった。だけど周りのことは誰よりも見て、愛してくれていた。
なっちゃんは元ドラァグクイーンとしてステージのうえで人を楽しませてきましたが、ステージのしたでも多くのゲイ仲間やお店に呑みに足を運ぶお客さんたちの心を開かせて、楽しませてきたのでしょう。
気づけば筆者も、会ったこともないなっちゃんの死を偲んで、惜しい人を亡くしてしまったんだな…なんて考えてしまいました。
作中には生前のなっちゃんの姿はちっとも出てきてはくれませんが、そんななっちゃんの人柄を、接してきたひとりひとりを通して感じる不思議な映画です。
さいごに
にぎやかで可愛くておもしろいバージン、モリリン、ズブ子の珍道中。
故人の冥福を祈るというテーマなのに、騒がしくて切なくて、なのに夏の空のように広くてじわっとアツくなる。
この夏のおともに、一本いかがでしょうか。
『ひみつのなっちゃん』 レンタル¥407/購入¥2400 |
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