こんばんは。神戸メンタルサービスの平です。
カウンセリングの仕事をして40年近くになります。その間に55,000件ほどのご相談にじっくりとお答えしてきました。
そんな中、いつも思うのが、ほとんどのみなさんが「自分は愛されていないので、不幸だ」という大きな誤解をもっているということです。
誤解?はい。その通り、誤解なのです。
あなたの心が傷ついたり、不快な思いをしたりするのは、「愛されていないとき」ではなく、あなたが「愛していないとき」だけなのです。
この話をすると、大半の人が「???」と思われますし、なかにはいやな顔をされる人もしばしばいらっしゃいます。
しかし、これはコペルニクスの地動説と同じぐらい、心理学では真実と考えられているのです。
なぜ私は愛されないの?という大きな“誤解”

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いちばんの問題は、あなたが「愛されていない」と判断した瞬間に、あなたのほうがその相手を「愛さなくなる」ことにあります。
心には脳が付いていませんから、「自分が愛さないものは、すべて敵だ」と単純に判断します。
たとえば、ゴキブリやネズミを見たときに、不快に感じて「ギャーッ!」と声が出てしまうのは、ゴキブリやネズミがあなたを愛してくれないからではないですよね。
あなたがゴキブリやネズミをまったく愛していないがゆえに、もっといえば、それらを攻撃したいとあなたが思っているがゆえに、その投影として、ゴキブリやネズミがあなたを攻撃したがっているようにあなたには見えるのです。
つまり、心は単純に、「自分が愛していないものは、自分を愛するわけがない」と感じているわけです。
男女関係でよくあるのが、「彼に愛してもらっていないのに、なんで私ばかりが愛さなくちゃいけないの?そんなのソンじゃないですか」というものです。
あなたはそう思ったことにより、彼への愛を止めます。
すると、彼を愛していない自分が、彼から愛されるとは思えなくなります。そして、不快になる…。こういうことが心の中では瞬時に起こったりしているのです。
私の知り合いに、変わったペットばかり飼っている人がいます。
ペットでも、たとえば、イヌやネコならいろいろな反応をしてくれるので、かわいがりがいがありますよね。
ところが、彼のペットはエサをやってもほとんど反応がないような生き物ばかり。
それではかわいらしさもあまり感じられないのではないかと思うのですが、彼はそのペットたちを愛しているので、反応があろうがなかろうが、それらの存在が彼の心を満たすというのです。
どうやら、私たちはだれかやなにかを愛しつづけたとき、自分の心の中に愛があることを感じることで、自分が満たされるようにできているようです。
心理学では、問題や精神疾患をつくる要因として、“愛の欠如”と“ひとりぼっち”の二つがよく取り上げられます。
愛の欠如とは、あなたが愛されていないことではありません。あなたが愛するものが、この世にないという状態を指します。
前述のように、あなたが愛していないものは、あなたには自分を攻撃する敵のように見えます。
すると、あなたは敵から離れたいと思い、ひとりぼっちを選びます。
しかしながら、それはまわりがすべて敵に囲まれているというような状態ですから、あなたは心の安らぎや安心感を失い、高ストレス状態におかれます。
…こうしたことからいえるのは、人間というものは、だれかやなにかを愛するために存在しているということです。
私たちの本来の存在目的は、だれかやなにかを愛することなのです。それを止めたとき、私たちの中にストレスや不快な感情を伴う問題が生まれるようなのです。
罪悪感というつらい感情がありますが、これも究極のところ、自分がだれかを愛してあげられなかったという感情がつくりだすものだといえるようです。
パートナーシップをもつことは、あなたが惜しみなく愛を注げるだれかをもつということです。それはまさに、あなたの幸せや心の平安をつくることといえるわけですね。
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