こんばんは。神戸メンタルサービスの平準司です。
「昔の彼からいわれたりされたりしたひどいことが、いまだに忘れられず、そのことを考えるだけで腹が立って夜も眠れません」
こんなご相談をしばしばいただきます。これはパートナーにかぎらず、思春期に親からいわれたこととか、学生時代にクラスメイトにされたことについてもよくあります。
中にはなにかの拍子に思い出すたびに、情緒不安定になってしまうという人もいます。いわば、その出来事が古いトラウマのようになっているともいえるでしょう。
ここで一ついえるのは、その出来事はたしかにあったわけですが、あなた以外の当事者は誰もそのことを憶えていないでしょう、ということです。
ところが、あなたは自ら再生ボタンを押し、何度となくその出来事を自分に見せつづけているわけです。
実際、あれはひどい出来事であったのだと思いますが、起きたのは1回だけだったでしょう。しかし、あなたは何度も何度もそれを再生するというひどいことを自分に対してしています。
つまり、自分が不快になることを、わざわざ自分で自分でしているということに気づいていただきたいのです。
トラウマになるような嫌な出来事を経験した人は、あのとき関わった人たちについて、「謝罪してもらいたい」とか「とっちめてやりたい」「目にものを見せてやりたい」などと思っていることが少なくありません。
でもそれならば、こんな嫌な映像の再生ボタンを何度も押すあなたが、過去のあなたに謝ることも必要ですよね。
ではなぜ、再生ボタンを押してしまうのでしょうか?
脳内再生されてしまう“嫌な過去”を断ち切るには

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再生ボタンを押す目的があるとするならば、それはあなたが怒りの感情を感じ、そして、自分が怒るということを正当化するということにありそうです。
心理学では、「人は自分の持っている信念を評価するための事実を集めている」といわれます。
自分がダメな人間だという信念を持っているとしたら、昔の記憶を今の自分にあてはめて、「私はバカにされるにふさわしい」とか「人々は私を見下している」と、ネガティブな自己概念を証明しようとするわけです。
心理学に「成功者、過去を語らず」という格言があります。
これは、「今、幸せで成功している人は、過去のことを気にしない」ことを意味します。
過去の嫌な体験が記憶にいつまでも残ってしまうとき、その人は今、人生がうまくいっていない、幸せでないなどの状況にあることがほとんどです。
そして、そのことを「だれかのせいにしてしまいたい」という思いがあるようです。だれかやなにかを責めていれば、自分を責めなくてよいからです。
逆説的なのですが、だれかを責めているときだけ自分を責めなくてよいということは、普段はそれと同じぐらい、自分の人生がうまくいっていないことを自己攻撃しているといえるでしょう。
ということは、先ほどのあの再生ボタンを何度も押してしまう目的は、まさにこの自己攻撃といってもいいわけです。
そんなあなたには、こういってみてほしいのです。
「私はもう私のことをいじめない」
「これからは、私は私の一番の味方になる」
過去の嫌な経験を反芻しているとき、人は自分自身に素晴らしい体験をさせてあげようという発想ができなくなります。
自分にとびきりおいしいものを食べさせてあげよう、自分になにかご褒美をあげようと思えなくなるのですね。
それを私は“うれしい楽しい欠乏症”と呼んでいるのですが、この症状のある人は、人生のなかでうれしい、楽しいという感情を感じる機会が激減していきます。
今のあなたにとって大事なことは、あなた自身の心が喜ぶ体験をあなた自身がプレゼントしてあげることなのかもしれません。
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