愛する人に何かをしてやること、してやりたいと思うことはどこまでが愛で、どこからがエゴなのだろうか。もしくは、愛そのものはエゴなのだろうか。
ファッション誌の編集者として働く浩輔と、パーソナルトレーナーの龍太。
現代を生きるゲイ男性ふたりが出会い、惹かれ合った先にある愛とエゴイズムを描いた映画『エゴイスト』をセクシュアルマイノリティで同性のパートナーと暮らしている筆者がご紹介します。
- ※一部ネタバレを含む部分がございます。
『エゴイスト』あらすじ
主人公の浩輔は、田舎町で生まれ、セクシュアルマイノリティであることを隠しながら青春時代を過ごしました。
14歳で母親を亡くした彼はやがて上京し、出版社でファッション誌の編集者として働き、プライベートではセクシュアルマイノリティであることを明かせるコミュニティに身を置いて暮らします。
ある日友人のツテで、美しい青年・龍太に出会いました。
パーソナルトレーナーとして働きながらシングルマザーである母親を支える、健気な龍太の姿。
次第に浩輔は彼に心惹かれていき、龍太もまた浩輔を頼りにし、惹かれていきます。
満ちたりた日々を過ごすふたりの幸せは、そう長くは続きませんでした。浩輔と龍太、そして龍太の母。それぞれが抱く愛を描いた物語です。
主演は実写版「シティーハンター」が話題の俳優、鈴木亮平さん。
龍太を演じるのは、2025年放送予定のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』への出演が決定している、宮沢氷魚さん。
手塚治虫の手記を原案にした『トイレのピエタ』を手掛けた松永大司監督の、日活株式会社提供、2023年2月10日公開作品です。
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愛とエゴイズム
この記事を読んで『エゴイスト』を鑑賞したいともし思ってもらえるのなら、ぜひともある2つの視点からこの作品を読み解いてほしいです。
ひとつが、「愛とエゴイズム」について。もうひとつは「タイトルの『エゴイスト』とは誰のことを言っているのか」。
どちらの問いも映画を読み解くうえで正解はありませんが、自分のなかにある「愛」の在り方で答えは観る人によって全く違うものになるのではと思います。
まずはひとつ目の「愛とエゴイズム」について。
エゴイスト(Egotist)とは、自己中心的な人や利己主義者を意味する言葉で、他人の感情・利益などよりも自己利益や欲求を優先して考える人を表しています。
パーソナルトレーニングを受ける前の浩輔は、龍太のトレーニングを受けることを「キャバクラ感覚」と言っていました。
実際好みの外見をしていた龍太と見た目の美しさや若さだけで彼と交際していたなら、浩輔の愛はエゴだったと言えるでしょう。しかしそうではありませんでした。
浩輔が彼の内側の部分に惹かれ始めたきっかけ。それは、母親を支えるためにトレーナーと深夜のアルバイトを掛け持ちしていることと、自分が母を亡くした年齢と同じ14歳のときに龍太の母親が身体を壊していたことを知ったことでした。
浩輔は病気の母親を支えたくても支えられなかった分、龍太を通じて彼の母を支えるようになり、それも含めて龍太との満ち足りた関係の一部として愛していました。
理由がどうであれ、浩輔が龍太親子を支えたかったのも、事実。
龍太の母親に自分の母親を、龍太に母を支えたかった自分を重ねてふたりを支援することで、そうすることができなかった自分の傷を癒すことは、愛なのでしょうか。それとも、浩輔のエゴイズムなのでしょうか。
“エゴイスト”は誰なのか
ふたつ目、作品のタイトルでもある「エゴイスト」とは、登場人物の誰のことを指しているのか。
龍太親子に、自分と亡き母の幻想を重ねた浩輔?それとも、浩輔の好意に甘えて、自分たちの親子のサポートを受け入れた龍太?
もしくは浩輔からの金銭的支援があったことを知った後も、浩輔と疑似的な親子関係を続けた龍太の母でしょうか。
登場人物それぞれが、それぞれを自分なりに愛していて。それぞれの愛情表現には相手を心から思う愛情そのものの部分も、自分のためのエゴのような部分も混ざり合っていて。ここまでが愛で、ここからがエゴだなんて簡単に線引きできるものではないと、話が進めば進むほど痛感していきました。
「幸せでいてほしい」「元気でいてほしい」という自分の願いがある以上、「見返りを求める愛」「エゴ」とも言えてしまうけれど、根本はシンプルな愛情です。
3人ともエゴイストと言えるし、そうでないとも言える。
筆者もパートナーに喜んでほしいからと好物のメニューを夕飯にしたり、ふたりの時間用にちょっといいドリンクを用意することがあります。
彼女の仕事の疲れが少しでも癒えたらいいなという思いもありますが、同時に僕がそうしたいからしている、という部分もあります。
100%相手のためにしていることってあるのでしょうか?相手が喜んでくれることで嬉しくなったり、少しでも報われたように感じるのなら、それは見返りではないのでしょうか。
愛情を与えるときの感じ方も、受け止めるときの感じ方も、ときと場合、人によってそれぞれだからこそ、観た人のなかにある愛の在り方によって誰をエゴイストと感じるか違いがあるはず。
だからこそ、あなたにとって3人のうちの誰がエゴイストなのかを考えてみてほしいのです。
男女のカップルに置き換えて考えてみる
龍太がパーソナルトレーナーの仕事以外に、生活のため男性を相手に身体を売っていることを告白し、別れを告げたあと。
浩輔はショックを受け、何度も何度も電話をかけますが、空しくコール音がくり返されるだけ。
くり返された分悩んだ彼はようやく探し出した龍太に、月々の金銭的なサポートを申し出ることで、彼を引き留めようとします。
浩輔の行動をそのまま言葉にすると、恋人としての関係性を不健全なものにしてしまうように見えるかもしれません。しかし筆者には、そうは思えませんでした。
もしこれが龍太のような女性と異性愛者の男性の物語だったら、支援をする、あなたを支えたいという意味で結婚を申し込んでいるとは思えませんか?
いまだに日本では、同性同士が法律上の婚姻関係になることはできません。
「婚姻」というふたりの関係性を確実に証明できるものを利用できないとき、金銭的なサポートはあくまでも引き留めるための方法のひとつで、一概に不健全だとは言い切れません。
男女が婚姻関係やそれに準ずるような関係であれば、相手が職を失ったり金銭的に困難な状況にあったとき、できる限りサポートしたいと思うことは自然な発想。それが、浩輔のように稼ぎのある仕事についていれば尚のことのように感じます。
デートの食事代やプレゼント代、生活を共にするようになれば家賃や光熱費・食費といった生活のベースの部分に使うお金。
性別問わず交際しているパートナーがいれば、多かれ少なかれ相手のためにお金を使うことは、よくあること。
最終的にはおおよそ折半という場合でも、その時々で一方が多く払うことは珍しくなく、男女のカップルであっても同性同士のカップルであっても、あまり変わらないのではないでしょうか。
男性同士のカップルの物語は異性同士のラブストーリーよりもまだまだ見慣れないだけで、愛情表現のためにお金を使うこと自体は、そう珍しいことではないはずです。
僕にとっての「エゴイスト」は
最後に、上記のふたつの問いかけに答えておきたいと思います。
愛とエゴは境目なく混じり合っているもので、主人公の浩輔は特にエゴイストであったと感じました。
鑑賞中、ずっと「自分が浩輔ならどうするか」と考えながら観ていたというのもそう感じた要因かもしれません。
龍太が自分を思ってくれていて、自分から離れる理由がお金だけで、自分に稼ぎがあるのなら、繋ぎとめる方法としてサポートすることを選んでしまうかもしれない。
サポートすることで、彼や彼の母親が少しでも楽になって、愛する人のそばに居られるのなら、選んでしまうと思います。
その後の展開も、浩輔の選択を間違っているとは思えません。きっと浩輔と同じようにするだろうと思い、観客のひとりとしてこの答えに至りました。
男性同士の性描写を含む作品なので、前述のとおり見慣れないかと思いますが、特別激しいものというわけではなく、男女に置き換えれば同程度の性描写のある作品はこれまでにも多く制作されています。
ひとつの愛の物語として、ぜひ鑑賞いただきたい作品です。
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