こんにちは、椎名トキです。僕は身体の性は女性ですが、心の性は定めていないセクシャルマイノリティで、女性のパートナーと暮らしています。
あなたは自分でつくっている作品、もしくは仕事や勉強や部活動で誰かから褒めてもらえたとき、どんな対応をしていますか?
僕はずっと「褒められること」が苦手で、褒めてもらえた際にうまく言葉や態度を返すことができていませんでした。いまも得意というわけではありませんが以前よりは改善できているなと感じています。
最近、記事を読んだかたから嬉しいお褒めの言葉をもらうことがあり、改めて「褒められること」が苦手だということについて考えたので、今回は僕が行っている対処法を含めてご紹介します。同じように褒められることが苦手なかたやには、ぜひ読んでいただきたいです。
褒められることが、どうしても苦手
「この前の椎名さんの記事よかったです」
by themで執筆をするようになってから、文章についての感想をいただくことが以前より多くなりました。
僕がエッセイなどを書き始めたのは2018年のおわりと、ここ数年のことです。エッセイや自分の考えていることを書いていると、同じように文章を書いているかたから文章について感想をいただくようになりました。
その多くは、褒めてくださる内容。嬉しい反面、褒められることに苦手意識があった僕は、その感想にどんな返事を送ればいいのかよく悩んでいたのです。
もちろん、褒めていただけることは本当に嬉しいです。苦手なかたはわかってくださると思うのですが、褒めてもらえること自体は大前提として本当に嬉しい。褒められた対象への今後のモチベーションは上がるし、「やってよかった」「作ってよかった」と感じます。
少なくとも相手が褒めたいと思ってくれるくらい書いたものを楽しんだり喜んだりして、それを思うだけでなく行動に移してくれたということだと十分に理解したうえでとてもありがたいし尊いことだと思います。
しかし僕はそれと同時に、嬉しさと同じくらいかそれ以上に恥ずかしさと困惑が押し寄せてしまうんです。謙遜もありますが、率直に言うとどうしたらいいのかわからなくなってしまうのです。
30年以上生きてきて、学校や仕事でも人並みには頑張って生活をしてきて、その間でモノづくりやつくって表現することをしてきたので、全く褒められた経験がないわけではありません。なので褒められ慣れていない、ということもないのだと思います。
仕事なら「ありがとうございます」とすぐに答えることができますが、それも「恥ずかしいからこの時間が早く過ぎてほしい」という感情が少なからずありました。
それなのに僕は褒められると「いやいや…」と謙遜とも自虐ともとれるあいまいな返答をしてしまっていました。その後に褒めてくれたことを否定ばかりしているのも相手に失礼な気がして、やっとお礼の言葉が出てきます。当時は、毎度そんなことを繰り返している自分にも自己嫌悪していました。
あるとき、趣味の文章を通して親しくしていただいたかたに「椎名さんのファンです」と、このうえない褒め言葉をもらったことがありました。
このとき僕は、「親しくしていただいているのにファンだなんて。ファンではなく友人ですよ」と言いたかったのですが、うまく伝えられず、ただ褒められたことを否定してしまったことがありました。この失敗が、「褒められたときにうまく対応できるように対処しよう」と決めたきっかけになったのです。
褒められると、なぜ困ってしまうのだろう
せっかく褒めてくれた人がいるのに、それを否定するのは悲しい。自分でも褒められて嬉しいはずなのになぜ困ってしまうのでしょうか。
僕の場合、原因は自己肯定感の低さにあるのではないかと考えます。僕が褒められたときに考えてしまっていたことを紐解いてみると、それがよくわかると思うのでやってみましょう。
書いた文章などを褒められた、嬉しい!その直後、頭の中に「そんなわけない」と「お世辞ではないか」という考えがすぐに顔を出してきます。
いつどうやって思い込んだのかはわからないけれど、随分幼いころから僕のなかでお世辞を真に受けることはもの凄く恥ずかしいことでした。だからそんな恥ずかしいことをしないために、相手がお世辞で言っているかどうかを見極める必要があります。
加えて「褒められるほど出来ではない」と思っている節もあり、「褒められるわけがない」と自分の評価を自分で下げていました。自分への肯定ができていないから、作品も肯定できていなかったのです。
だから相手からの言葉がお世辞かどうかを見極める際に、「お世辞の可能性が高い」と考えていました。