私が通っていた高校の夏服は、白の半袖Yシャツだった。丸襟でセンターのボタン部分付近は4つのライン、スカートはスカイブルーのチェック。
上品でおとなしく見えるその制服姿は、女子高校生としてのあるべき姿を押し付けられているように思えて好きではなかった。
校則に厳しい高校だったため、スカートの丈は膝下で第1ボタンまでしか開けることは許されていなかった。けれど帰り道の電車では胸の苦しさを感じ、第2ボタンまで開けていた。
その日は珍しく電車が空いていて、長い電車に揺られながら一番端の席でうつらうつらとしていた。すると、隣に誰かが座ったのを左肩に感じた。こんなに空いているのに真隣に座られていることに違和感を覚えながらも、睡魔に負けて半分夢を見始めていた。
そのときだった。
電車が大きく揺れた瞬間、相手の全体重が私にかかったのだ。そして、左胸に生温かさを感じた。どう考えても手のひらだった。一気に夢から覚めて目を開く。斜め前の窓に目をやると、腕を組みながら私の肩にもたれかかった男が映っていた。
これが人生ではじめて「痴漢をされた」と認識した出来事だ。いまから9年前の話。当時高校1年生であった。
私の通っていた高校は渋谷のど真ん中にあったため、都内だけでなく都内近郊から片道1時間かけて通っている生徒も多数存在し、私もその一人だった。ほとんどの生徒が、地下鉄やJR線を乗り継いで電車通学をしていた。
そのなかでの痴漢は日常茶飯事で、朝登校すると週に1回は「また痴漢されたよ」という言葉を耳にしたことを覚えている。
きっと私の周りだけの話ではなく、一度でも痴漢もしくは痴漢に近いものを受けたことがある女性は、日本に多く存在するだろう。これは大袈裟なことではなく、日本という国では“痴漢”が日常化しているという現状がある。
今回は被害者である私が、性犯罪のひとつである痴漢について考えていきたい。
「#NOMORECHIKAN」被害者の声と感じてしまう罪悪感
2021年8月8日に「#NOMORECHIKAN」という言葉を掲げ、署名活動が始まった。この活動を始めたのは、一般社団法人「日本若者協議会」のジェンダー委員たちで、痴漢被害の実態調査や性犯罪についての充実した教育、加害者の再発防止プログラムなどの具体的な項目への署名を集めている。
これらの署名や要望は文科省、法務省、警視庁、国土交通省、内閣府に提出するのだという。
この署名は2週間弱で2万筆を突破し、8月31日には2万5000筆を超えたらしい。署名の数や署名が集まるスピードは、痴漢被害を受けたり痴漢行為に対する見直しを求めたりする人の多さを物語っている。
署名をした人のなかには、痴漢被害の訴えをまともに取り合ってもらえなかったことや被害者にも非があるようなたしなめ方をされたという声があるそうだ。
私がはじめて痴漢をされたとき、痴漢に関する予備知識はあったけれどすぐに動けなかったことを鮮明に覚えている。唐突に“その瞬間”はやってきて、頭の中を真っ白にするものだ。
痴漢されたらすぐに逃げる・声をあげるなど、身内やメディアから促されていたものの、その場で咄嗟に行うことの難しさを感じた。
その男性もピッタリとくっついたかと思えば、揺れとともに少し離れてみたりを繰り返していて、声をあげるのに決定的な何かがあるとも思えない。私の考えすぎかもしれないと思い直してみるが、確かにあるのは局部に対する不快感だった。
やっとの思いで違う席に移動したのは、痴漢行為を認識してから2駅過ぎたころだったと思う。「不快に思った瞬間立てばよかったのに」そうあのころの自分に諭したい気持ちだが、なぜかそのときはそれができなかった。
気が強く、なんでも言いたいことは口にできる人間として生きていた私は、痴漢行為に嘆く友達に「そんなやつ捕まえて駅員のところに突き出しちゃいなよ」と話したり、痴漢行為に泣き寝入りする女性を「弱い人間だなあ」とテレビを眺めていたりしていた。
しかし実際に自分がその立場に立ったとき、女性としての弱さを痛いほど感じ、そして何より、私自身に何か悪いところがあるような罪悪感が渦巻いた。