性的欲求が根源ではない。25歳になってできたこと
25歳になったいまでも、痴漢行為に遭遇することはある。
終電間際の空いている電車内で、挙動不審な男性が私の隣に座って身を寄せてきた。私がすぐに席を立ち、少し離れた席に移動すると、今度は別の若い女性の隣に座った。
続けて様子を見ていると、隣に座られた女性ははじめは気づかなかったものの、段々とその男性の距離の近さと動きに違和感を覚えたようだった。
私は咄嗟にその女性のところへ行き、目配せをして手を引いた。そのとき私ができる最大限のことだった。
その男性から離れたところで、「あの人ちょっと不審な動きをしていて怪しいです」とその女性に言うと、「私も気づいたんですけど、動けませんでした。ありがとうございます」と話してくれた。
16歳のころできなかった痴漢への対処がいまできるようになったのは、単に大人になったからではない。痴漢行為に対する認識が単なる生き過ぎた性欲からの行動というものではなくなったからだ。
先に、高校1年生で痴漢行為にあったとき何もできなかったのは女性としての立場の弱さを感じたからと書いた通り、そのころは痴漢されること自体こちらにも原因があるような気がしていた。
第2ボタンを開ければ、はたまたスカートを短くすれば性的対象になる、ある意味で弱さを自ら作り出しているのだと思っていた。
けれど、痴漢行為をするのは性的な欲求からくる衝動だけではないらしい。
決して、私たちが弱いのではない
痴漢行為には女性の身体を触る以外にも、さまざまな行為がある。周りの女性たちの経験を見ても、痴漢行為の種類はいくつも存在していた。
なかには、身体を押し付けることや精液をかけること、局部を見せつけることや衣服を切りつけることなどもある。そう考えると、痴漢行為=行き過ぎた性的欲求からの行動と結びつけるのはあまりにも安直だ。
『男が痴漢になる理由』の著者である精神保健福祉士・社会福祉士で大森榎本クリニック精神保健福祉部長の斉藤章佳さんや、NPO法人「性障害専門医療センター SOMEC」で、性犯罪歴のある人の治療に当たっている精神科医の福井裕輝さんの解説を紹介した婦人公論.jpによると、痴漢行為に走る人々の根底にあるのは、人間関係へのストレスや自身の立場が上であるという自尊心の保持などがあるという。
痴漢されている人に対して自分の行為が受け入れてられている、自分のコントロール下にいると考え、ある種の達成感を味わっているのだそうだ。
痴漢行為をして処罰される人々がこんなにもいるなかで痴漢の日常化に終わりが見えないのは、悪いこととわかっていてもそれをしなければ自身の精神的な安定を保つことができない人間が存在するからではないだろうか。
ほかにも、臨床心理学や犯罪心理学を専門とする筑波大学人間系心理学域の原田隆之教授によると、痴漢は治療が必要な性依存症の可能性もあるとのこと。現時点で「性依存症」という精神医学上の診断名こそないが、診療現場ではアルコール依存やニコチン依存と並ぶ「依存症」と捉える場合もあるそうだ。
日本ではこの依存症について広く知られておらず、治療できる医療機関は少ない現実がある。繰り返す人は治療も必要であるため、こうした機関の整備も痴漢行為撲滅への一歩となるだろう。
これらのことからわかる通り、痴漢は女性の露出や対策不足、女性としての弱さに原因はひとつもない。私たちが弱いのではなく、強さを誇示するものたちが弱いものを作り出そうとしているだけなのだと思う。
はじめて痴漢されたときに抱いたような罪悪感は持つ必要など全くないし、私たちがどんな服装でいようが体型でいようが、それは弱さにはなり得ないのだ。
私は改善すべきは被害者本人ではなく、痴漢をする人の価値観やその人を取り巻く環境だと考える。自分より弱く、力を誇示できる対象が女性という価値観、そして言い換えれば、それは男性が常に強くあって強い力を持っていなければならないというプレッシャーだと取ることもできる。
“CHIKAN”という言葉が世界共通語になるほどに痴漢大国となってしまった日本。なによりも日本のジェンダーに対する価値観の改善が、痴漢撲滅への一手となるのではないだろうか。
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