こんにちは。竹本光晴です。
柳宿(りゅうしゅく)の魂は、水面に月を映すように、人の心をそのまま映し出す感受性の器です。
古典に「軟眼饒睡性虚」とあるように、そのまなざしはやわらかく、眠るような静けさをたたえながらも、どこか儚く、風一つで揺らぐ繊細さを秘めています。
心理学でいえば、これは「高感受性(HSP)」や「共感性過剰」と呼ばれる特質に近いでしょう。
他者の喜びや悲しみを自分のもののように感じるため、柳宿の人は時に深く傷つき、疲れやすいのです。しかし、その敏感さこそが柳宿の力です。
煩悩と怒り。揺らぎが示す魂の成長

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密教では「煩悩即菩提」と説かれます。煩悩、すなわち苦しみや揺らぎは、悟りの種でもあるという教えです。
柳宿が感じる心の波立ちは、未熟さの証ではなく、魂が“調和”を求めて動いている証。
外界の刺激に揺さぶられるたび、内なる水鏡は光を反射し、自らの深層へと導かれます。
一方で、古典の「梗房嗜瞋」は、柳宿が内に龍神のような激しさを宿すことを示しています。
普段は穏やかでも、心の奥には強い怒りや情熱が潜み、それは「自己の境界を守りたい」という防衛反応でもあります。
心理学的には、怒りとは「変化の必要」を知らせるシグナル。柳宿の怒りは破壊ではなく、再生の前兆です。
心が濁るほど、浄化の波が起こる。それを見つめることが、真の「解脱」への道となります。
愛に溶ける魂。共依存と自己愛の学び

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柳宿はまた、「耽著情事難得心腹」とも伝えられるように、愛に深く溺れやすい傾向を持ちます。
恋愛や人間関係の中で、自分を失いがちになるのは、他者の痛みや寂しさを自分の内に吸い込むほどの優しさを持つからです。
これは“共依存”のテーマにも近く、愛によって自我が溶ける体験を通じて、柳宿は「他者を愛するとは何か」「自分を愛するとは何か」を学んでいきます。
愛の試練は柳宿の魂にとって“観音行”なのです。
楊柳観音の象徴。しなやかさという真の強さ

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仏教において、「柳」は観音菩薩と深く結ばれた象徴です。
楊柳観音は、左手に功徳水の瓶を、右手に鎮痛と浄化の柳枝を持ち、苦しむ人々を癒します。その枝は柔らかく、折れず、しなって元に戻る。
まさに柳宿の心そのものです。
心理学的に言えば、これは「レジリエンス(回復力)」の象徴。困難を経験しても、しなやかに再起できるのが柳宿の特質です。
「柳」という文字も、左の「木」と右の「卯」から成り、「卯」は芽吹きと開放を意味します。
春の風に揺れる柳のように、柳宿は環境に合わせてしなやかに形を変え、どんな状況にも馴染む柔軟性を持っています。
これは“柔は剛を制す”の法。力で押し返すのではなく、受け入れながら変容させる力こそが、柳宿の真の強さなのです。
柳宿の旅は、感情に翻弄されながらも、やがて「自由」へと至る道。感情を否定せず、ただ静かに観る。その行為こそが“水鏡の修行”です。
感情とは、心の空に流れる雲のようなもの。掴もうとすれば消え、ただ見つめれば形を変えてゆく。
柳宿はその変化を恐れず、愛も怒りも哀しみも、すべてを真理への風として受け入れていく魂です。
やがて柳宿は気づくでしょう。「私は他者の感情を映す鏡でありながら、その鏡を磨くのもまた自分自身である」と。
それが、密教でいう“自心即仏”の境地。
柳宿とは、感情の海に浮かぶ観音の舟。流転する世を包み、癒しながら、自由へと還る“柔らかな解脱者”なのです。
今週も皆様に、多くの月の導きが訪れますよう、心よりお祈り申し上げます。
愛・感謝・ありがとう。
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