「生きるのが辛い」とか「生きているのがつらい」という言葉を、Googleの検索窓に打ち込む人が、毎月1万人近くいるそうです。
あなたにも、そんなふうに漠然と「生きるのってつらいなぁ」と思うことがあるかもしれません。
私にもあります。「生きるのってもう本当に、すごくつらいわ!」って思うこと、何度もあります。
だけど、よく考えてみてほしいのです。「生きるのが辛い」と考えているときって、私たちにとってどういうときなのでしょう?そんなとき、本当はどうすればいいのでしょうか。
なんでこんなに辛いんだろう…
よく考えてみると、おかしいですよね。「生きる」なんてことは、何かとんでもなく大変な状態なのではなく、「呼吸をしている」とか「勝手に心臓が動いている」という状態のことだと思いませんか?あなたが意識して「生きることをしている」わけではありませんよね。
なのに、「生きるのが辛い」なんて、いったいどういう意味なのでしょう?そんなふうに、ちゃんと考えてみたこと、ありますか?
たとえば、「幸せを感じないから辛い」とか、「何かができないから辛い」「このままでいることが辛い」といった意味なのでしょうか?せっかくの機会ですので、もう少し掘り下げて考えてみることにしましょう。
「生きるのが辛い」というのは、「生きるのは辛くないはずだ」と考えている人がいうセリフですよね。「りんごが赤い」とか「バナナが黄色い」みたいに、あたりまえのことをつぶやいているような感覚ではなさそうです。
まるで、「生きるのがこんなに辛いとは思っていなかった」かのように、わざわざ「生きるのが辛い」と考えて、苦しんでいる状態になってしまっています。
だけど、「生きるのが辛い」って、もしかしたら当然のことではないのでしょうか?人は「弱肉強食」において食物連鎖のピラミッドの頂点にいるからこそ、生きることの過酷を感じていないことがあるのかもしれません。
動物は捕って食われるのが当然の危険な毎日を過ごしているため、「生きるのが辛くないはずだ」と判断するのは、人間だけなのかもしれませんよね。人間は、「幸せになれるはず」という理論を、いったいどこで手に入れたのでしょう?
つまり、私たちが「生きるのが辛い」と考えているときには、「何かとんでもなく幸せになるはずだったのに、ギャップがひどすぎる」と考えている状態なのでしょうか。