「許せない」と「許さない」は全く別物
湧き上がる毒親への怒り、憎しみとどう向き合うのか?
これは、毒親育ちの方にとっては、かなり重要なテーマのひとつなので、許しのステップについては、連載の後半でしっかりと取り上げます。
毒親育ちじゃなかったとしても、「人に対する怒り、憎しみ、恨みとどう向き合うのか?」ということは、人生の幸福度を左右する、かなり重要なテーマですね。
そこで今回は、「怒り(憎しみ、恨み)との向き合い方」について、僕の考えをお伝えしたいと思います。
まず始めに、「許せない」のと、「許さない(許したくない)」は全く違うということ。まずはここを整理しておくことが大切です。
「許せない」ということは、「許そうとしているけど、なかなかそうはできない」ということで、「許したいのが前提」になっています。一方、「許さない」は、「そもそも許すつもりがないということが前提」です。
前提が全く違えば、取り組む内容も全く変わります。ただ、どちらも意識的にそう思っているというよりも、無意識でしょうけれど…。
ですから、怒りと向き合う際には、「許せない」のか、「許さない」のかを、頭と体に確認しながら自覚することが大切です。
その上で「許さない」という決断をするのであれば、それ以上、部外者の僕がああだこうだいうことはありません。許さなければいいんじゃないかなと思います。
実際、「どうしても許したくない」「許してはいけない」ことってあると思います。
「許さない」せいで、たとえどんなに自分の人生の時間を奪われ続けても、頭の中が許さない人のことでいつも一杯になるとしても、それでも勘弁できないのであれば、それはそれで大切なことだと思います。
ただ、「許さない」を選択する前に、次のことは知っておかれるといいと思います。
「許す」は毒親を乗り越えるチャンス
それは何かというと、
「許すとは、誰のためでもなく、自分のためにすること」
「許すことは、自尊感情を育む最高のチャンス」
「許すとは毒親を乗り越えるチャンス」
でもあるということです。
それと、余計なお世話かもしれませんが、「いつまで許すつもりがないのか?一生?それとも?」「仮にその人が何をすれば許せそうなのか?」ということも合わせて考えておくと、先々「許さない」を選択したことを後悔する可能性が減らせるかと思います。
これらのことをしっかりと考えた上で、それでも「許さない」を選択するのであれば、もう僕の方から「許さない」に関しては、何もいうことはありません。