相手への怒りは、自分への怒り
誰かを責め続けているとき、実は無意識に自分をも責め続けています。
例えば「あいつが悪い!」と恨み言をつぶやくとき、「そのとき、許せないあいつのことをなんとかできなかった自分を許せない!」「現在も、あいつに復習できないのに、グズグズと引きずっている情けない自分が許せない!」「誰かに救いの手を差し伸べてくれるように頼む勇気がなかった自分を許せない!」などと自分を責めていたりします。
また、「あの人のせいで自分は不幸になった!」と恨み言をつぶやくとき、「人を見抜けなかった自分が情けない」「その人を信じてしまった自分が情けない」などと自分を責めていたりするんですね。
何を言いたいのかというと、怒りを手放すということを考えるとき、「その人に対する怒り」「養育環境に対する怒り」のことを真っ先に思い浮かべるかもしれませんが、実は「他人への怒りと同等、あるいはそれ以上に無力な自分自身に対しての怒り」もあるのだということを忘れてはいけないということ。
つまり、「相手への怒りと自分への怒り」はセットになっているということですね。
そういう意味で、すごく簡単にいうと、怒りを手放すというのは、自分自身を大切にすることに直結することだし、怒りなどのフラストレーションをわが子にぶつけた親とは違う選択をするということは、親を乗り越えたという自信にも直結します。
なので、「許さない!」という選択をするのであれば、こうした点はしっかりと認識した上で、されることをお勧めします。
相手に時間を奪われ続けないためにできること
問題は「(本当は許したいのに)許せない」という場合です。
これはとても苦しいです。悶絶ものかと思います。
本当は一切考えたくないのに、もう許そうと思っているのに、「アイツさえいなければ…」みたいなことが頭に浮かんでくる。それによって自分の人生の大切な時間を、その許せない相手に奪われ続ける。これは辛いです。
僕自身、過去に許せない人がいました。
それは実兄です。肉体的にも精神的にも、同級生の前でもさんざんやっつけられ、とても恥ずかしく悔しい思いをしましたからね。幼い頃からのそうした体験からのネガティブな影響から、大人になっても相当色濃く影響を受けたなと思います。
ただ、自分について掘り下げて分析するやり方を学ぶなどしていくことで、
「あの体験があったからこそ、自分の劣等感と真正面から向き合うことができた」
「あの体験があったからこそ、心の世界や自己実現の世界を知ることあできた」
「あの体験があったからこそ、負けてなるものか!と挫けずに頑張り続ける粘り強さが育めた」
「あの体験があったからこそ、反面教師としてよりよく生きるための学びがたくさんあった」
などなど、実はネガティブな側面と同等か、それ以上にポジティブな側面もたくさん得られていることに気づけたのです。
物事には裏があれば、それと同時に必ず表もあります。ネガティブがあれば、それと同時に必ずポジティブもあるんです。
そうやってポジティブな側面を探す努力をしていると、その努力に比例して、いつの間にか許せるどころか、むしろ感謝したくなるくらいの気持ちになれることもあるんじゃないかなと、自分自身の経験からも、他のクライアントさんの変化の経験からも思っています。