知らないうちに穢れていない?
先ほどから「穢れ」という言葉を使っていますが、穢れとは何でしょうか?
捉え方はいろいろありますが、殺人や強盗などの犯罪はもちろん、悪口を言って人を傷つけたり、ライバルなどを陥れてやろうとする邪な心も穢れに入ります。
ちなみに神仏における観念のひとつで、女性の生理や出産も「穢れ」といわれていました。これは血が出ることで気力が枯れる、つまり気枯れ=穢れと結びつけられていたようです。
そのため昔の人は生理中、鳥居をくぐらなかったそうですが、いまは生理中に参拝したければお塩を持参して浄化すれば問題ありません。
「穢れ」の中で私が一番怖いなと思っているのが、知らない間に人を傷つけてしまっていること。自分が人を傷つけているという自覚がないほど、怖いものはありません。相手が自分の言動でイヤな思いをしていないか、つねに思いやりを持つようにしましょう。
ではもう少し「穢れ」について説明していきます。
穢れの先に待ち受けているもの
「人を傷つけるようなことを言っても、相手が傷つかなければ穢れにはならないんですか?」という質問を受けることがあります。
答えは、相手の受け取り方次第。相手がショックを受けているようだったら確実に罪ですが、言われた相手がサラッと流してくれたら普通の会話になります。
たとえばお笑い番組を見ていると、ツッコんで場が和んだり、笑いが起きて盛り上がることがありますよね。ツッコまれたほうも「これはおいしい!」と思ってくれたら、逆にその人を助けたことになります(笑)。
実は、食べ物でも穢れます。神仏の世界では、牛や豚、馬、鶏、魚など殺してはいけないという戒律があり、命のある生き物を食べてはいけないんですよね。最近ではお坊さんの中にも、お肉を召し上がっている方はいらっしゃいますが…。
無駄な殺傷をしてはいけないので、食べるときは「いただきます」と手を合わせて感謝しながら残さず食べることが、供養になりお祓いになります。
もし、そのまま感謝もせず自分勝手な行動をして、まわりの人たちを傷つけ続け反省もしない人生を送っていたら、どうなると思いますか?
穢れが心や身体にどんどん溜まっていきます。因果応報で、自分がやったことは必ず自分に返ってきます。いろいろな形でイヤな思いをすることになります。
もっと言ってしまえば、ちゃんと自分自身の穢れを祓えてない人はいい死に方をしません。そしてあの世でも、苦しい修行をしなければならなくなります。
そんなのイヤだと思った人は、知らないうちに犯してる罪を神様に謝罪することです。それだけで少しずつ変わっていきます。