自分と人を比べてしまい、落ち込んだり、劣等感を抱いたり、優越感を持ったりする。それが終わりのない偽物の感情だとわかっていても。
思考は癖なので、人と比べて落ち込んでしまう3つの基本原理を覚えておいたら大丈夫。心の整体のように、癖を正していきましょう。
1.そもそも比べられないことを知る
比較というのは、1点の指標でしか比べることができません。たった1点ならば比べるということはできるのですが、総合的に比較する場合は「好み」という極めて主観的なものになるため、結局比べることはできないんですよね。
物体だったらまだしも、私たち人間というのは情報量が引くくらい多いんです。
料理がうまい人もいれば、運動神経がうまい人もいる。話すのがうまい人もいれば、聴くのがうまい人もいる。手先が器用な人もいれば、整理整頓がうまい人もいる。
身長が大きい選手もいれば、パスがうまい選手もいて、シュートがうまい選手もいれば、ドリブルがうまい選手もいる。自分は下手だけど、周りの力をあげる選手もいる。情報量が多すぎて、絶対に比べることができないようになっているんです。
そのなかで、たとえば誰かと比べてマウントをとったり優越感に浸る人は、必ず自分の1点だけを比べたりしてるんですよね。これって、超無意味です。幸せなんて比べられないですしね。
一番オブラートに包んで表現すると、アホですよね。いや、わかる!わかります。「人と比べてしまうから読んでるのにアホって!」となってしまうのもわかります。
でも、自分と人を比べるってことはもの凄く愚かな行為です。だって、比べられないものを比べているんだもの。「英語と日本語、どっちが優れてる?」くらいわけわからない感じで比べているんだもの。それくらい自分と誰かを比べるというのは無意味な思考なんです。
だから基本原理の1点目は、「そもそも比べられないことを知ること」。
2.比較とは、役割を知るためにある
1点目をみたらわかりますが、私たちには情報が多い。いろんな人がいます。
料理がうまい人もいれば、食べるのが好きな人もいる。味がわかる人もいれば、大食いが得意な人もいる。綺麗に食べるのが得意な人もいれば、美味しそうに食べるのが得意な人もいる。食だけ見ても、いろんな人がいる。
そのなかで暗くなっていく人は、自分と誰かの差を見る。そして、明るくなっていく人は自分と誰かに差があるから喜ぶ。なぜかと言うと、差(違い)があることにより、価値が生まれるからです。
比較して喜んだり落ち込むのではなく、比較して「違いとは役割なんだ」と感じましょう。「私とあなた違う!ってことは力を合わせられる!」と差(違い)を見て喜ぶのです。
つまり基本原理の2点目は、「比較とは比べて落ち込んだり喜んだりするものではなく、役割を知るためにある」。