「押し付け」は好意なのか
「すると、奥さんは『人の好意を無にするのか』『お宅は食べざかりの子どもがいるし食費がかかるだろうから、少しでも足しになればと思って用意しているのに』と、急に怒り始めました。
ありがたいと思っていますと何度もお伝えしましたが、『失礼な人だ』『信じられない』と悪口がばんばん出てきて、本当につらかったです……」
客観的に見れば、自宅で作っている野菜を好意で分けているのを一方的に拒絶され、怒りが湧くのはわかります。
一方で、お断りしているにも関わらずその家に合わない量を持ってきたり、今すぐ消費しないといけないような状態のものを渡したりするのが、本当に好意と言えるのでしょうか。
サキさんにとっては、こちらで決めることができない品を持ち込まれ食べるのが大変なのが実際で、だから何度も受け取りを拒否しているのにそれを無視されており、「好意」を前提にされても「押し付け」と同じです。
このすれ違いを奥さんのほうは理解できず、その日は「喧嘩腰のまま、奥さんは持ってきた野菜と一緒に帰っていきました」と、後味の悪い終わりになったそうです。
その夜、事の顛末を聞いた夫は「仕方がないよ。このままじゃ本当に困るだけだったし、いつかははっきり言わないといけなかったんだ」と、落ち込むサキさんを慰めます。
サキさんの夫も一度奥さんと玄関先で会って挨拶をしており、おすそ分けのお礼を伝えた後で「何度も足を運んでいただくのも申し訳ないので、結構ですよ」と遠回しに断っています。
それでも奥さんの訪問は止まらず、「いずれは夫が奥さんの家を尋ねて、正面からもういいですと言うしかなかったのかもしれません」と、サキさんは暗い表情で言いました。
持ってきてくださるお気持ちは本当にうれしいけれど、こちらの事情を無視したやり方ではいつかきっぱりとした拒絶が必要になり、その展開を理解できない側は理不尽さを覚えるかもしれません。
それでも、「好意だから」と自分の都合を通すことが正しいのかどうか、コミュニケーションの基本をもう一度考える必要があると感じます。