こんにちは。観月まひろです。
先日、高校生の娘が私に聞きました。「やりたくないことだけど、どうしてもやらなきゃならないときは、どうすればいいの?」って。
受験勉強が苦しくなってきたみたいです。進路は自由にしなさいといっているのに、おかしいな(笑)。娘もまた、本当の自分を幸せに生きたいと願い、在り方を模索中です。
あ、私もそういえば!と思い出しました。私が幼い子どもたちの育児で必死だったころです。
「逃げたいくらい苦しいのに、どうしても私がやらなきゃならない。いったいどうすればいいの?」と心で叫んでいたことを。
自己啓発の世界から、「我慢はやめましょう」「したいことをしましょう」といわれても、私が育児を放棄したら、この子たち、生きていけないじゃんっ!神様、なんで~!宇宙、答えろ~!と叫んでいたことを。
それは本当に「やらなきゃいけない」こと?
いまは答えがわかります。できるものならあのときの私の目の前に、答えを持参し、現れてやりたいくらいです。
答えを説明してみましょう。
Aだけしかないから、Aにするしかない
というのと
AとBがあってAを選ぶ
というのでは、行動は同じ「Aを選ぶ」であっても、幸福度や満足度や自由度はまったく違います。「選択肢がある状態にいる」ことがとても大切です。これは人間の尊厳にかかわるくらい重要なところです。
現代はさまざまな選択肢が存在していて恵まれているように見えます。ところが実際はどうかというと、一概にそうともいえません。それは、
AもBもあるのに、Bが怖くてAを選ぶしかない
という状態に、現代人の多くが陥っているからです。これってつまり…
Aだけしかないから、Aにするしかない
と同じことです。人間の尊厳がピンチ!そうなのです。人はこういう状況にいるとき、とても苦しいのです。
ありえない選択をするのも「あり」
じゃあどうすればいいかというと、怖くても、Bを選択する自分を想像して、「それもあり」と思ってみることです。
娘の場合であれば、受験勉強をしなくて済む方へ進路変更すること、いまの娘にとって素敵とは思えない自分になること、それらを「あり」だと思ってみるのです。
昔の子育て中の私の場合であれば、子育てを放棄する、または誰かに任せること、母親としてどうなの?と後ろ指さされるような母親になること、それらでさえ「あり」だと思ってみるのです。
実行するとなると、足がすくむようなことです。でも、規則とか常識とか道徳とか、いっさいのジャッジなく、とことん想像します。すると、例えば、娘は、素敵な未来を自分にプレゼントしたくて、いまあえてがんばっていることに気づきます。しなくちゃならないからしているのではなく。昔の子育て中の私だったら、自分の子どもがかわいいから、そこまで頑張っていることに気づきます。しなくちゃならないからしているのではなく。
すでにあえて、自分で選んでいると気づくかもしれません。それに気がつくと、同じAを選んでも、前より違う気持ちで、Aをすることができます。
思考停止から抜け出そう
そして、これまで見つめることもなかった「自分の目的」を見出すことができます。
娘は自分の未来に、素敵なプレゼントをしたいくらい自分が大事なのです。そんな大事な自分をムチ打ってまで勉強するのは、何かおかしいと気づきますよね。目的は、自分を喜ばせることだから。
子育て中の私だったら、自分の子どもをかわいがりたいのに、そのかわいい子どもに八つ当たりするくらい自分がオーバーワークになってしまっていたら、自分でストップをかけることができますよね。目的は子どもをかわいがって喜ぶことだから。
「どうしてもやらなきゃならないこと」に苦しんでいるとき、人はよく思考停止になっています。A以外にない!って。
そのときは、AのほかにもBがあることを思い出してください。すると、娘や私のように、少し楽な気持ちで、また新たないい方法を思いついて、Aをすることができるようになります。