クィアマガジン「purple millennium」を運営し、LGBTQ当事者としての経験や考えを発信しているHonoka Yamasakiです。
みなさんは、青春ってなんだろうと考えることがありますか?歳を重ねた人ほど「あのときは青春だったなぁ〜」と言いますが、じゃあこれからの私は闇に向かうだけなのか。いま青春すべき歳なのか。そういった漠然とした疑問が頭のなかをぐるぐると交差します。
若いことが美学とされがちな日本では、若く見られたい願望をもつ人が多く存在し、シワが増えることに嫌悪感をもつこともあります。
ですが、樹齢が長いほど美しさを感じるように、30代、40代、いや100歳まで生きる人は美しいのだと希望をもちたい。むしろ、歳を重ねるごとに経験や思考が構築された無敵バージョンの自分が完成するのでは…とまで思えるようになりたい。
いつでも「青春しているな〜」と思えたら素敵ですよね。そんなことを考えながら、青春について語っていきたいと思います。
青春とは心の若さ
青春とはなんだろうと思ったとき、アメリカの詩人、サミュエル・ウルマンの言葉がとても心に響きました。
少し長くなってしまいますが、まさに同感できる内容だったので共有します。
青春とは人生の或る期間を言うのではなく、 心のもち方を言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、 たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さを言う。青春とは臆病さを退ける勇気、 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は、失えば心はしぼむ。
苦悶や・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、 脅威に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、 人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から美・希望・喜び・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷に閉ざされるとき、20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、 80歳であろうと人は青春にして已む。
サミュエル・ウルマン『青春』
友達の少ない筆者は、数日前に恋人と別れ、どうやって一人で生きていこうかと道に迷っていたところ、ウルマンの言葉と出会いました。そして少しの光を感じられました。
恋愛だけでなく、日常生活で何かしらに対して後悔した経験をもつ人はいるかもしれません。そして正しいと思って選択肢した道がうまく進まなかったり、そもそも何が正解かもわからないこともあります。
それでも、悩んだり葛藤することは、ウルマンの「青春とは臆病さを退ける勇気、 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する 」のように前を進むことを意味するのだと感じました。
別れた人、失敗した人、生きがいを感じない人でも、希望を求めて新たな日を過ごす限り、青春であるのだと解釈しています。そして、いまの状況下でもいつか希望を求めて新たに前進するのだと信じています。
秋は寂しい季節。それでも進む
秋の季節が訪れ、なんだか寂しい気持ちを抱えることが増えた気が…。そして恋人との別れが訪れ、心まで枯葉のように潤わない状態が続いています。
SNSをみると、プールや海で水遊びをしていたり、バーベキューをしたり、そんな楽しい人たちの姿が目に映るものの、結局夏っぽいこともできずに涼しい季節へと突入してしまいました。
秋の訪れと同時に、一人の寂しさが襲い掛かるいま。日照時間が短いせいか、幼少期に日が暮れる時間になると友達とさようならしていた場面を思い出し、楽しいことが終わってしまう感覚を、いまの私と当てはめてしまいます。楽しい時間が終わってしまうのは、惜しいし切ない。
子どものころはまた友達と会えると思っていたり、楽しい時間は訪れるのだと思っていました。いまでも無理矢理にそう信じようとしているのかもしれません。
ですが、大人になると昔のように何事もうまくいくことはないし、楽しい時間が望むように手に入るものでもないということを知りました。
最近の芸能ニュースを見ると、「不倫」「浮気」のような目を逸らしたくなるようなものばかり。それで現実は現実。ですが、誰もが目の前にある何かと向き合っているのだと思います。
泣くこと、悔しがること、悩むこと。そのときだけはどうしようもないけど、それでも時間が経てば前進しているものなのです。