毒親と健全な親の違いは、トラブル時にも…
健全な親であれば、家庭内になんらかのトラブルが生じた際には、トラブルから逃げることなく原因を分析し、解決しようと取り組みます。
子どもがイジメにあった、学校の先生の指導がおかしい、近所に変な人がいる、職場で困ったことが起きた、遺産相続の問題が生じた…などなど。家庭に持ち込まれる問題っていろいろですからね。
その問題をどうやって解決していくのかのプロセスについては、
「大人だけで解決するべきもの」
「子どもも交えて家族全員で解決するべきもの」
「子どもが自分で解決できるように大人がサポートするもの」
「家族だけでは解決できないもの」
の4つに整理した上で、その内容に応じて、家族会議を開いたり、場合によっては第三者(親戚や友だちなど)の力を借りたり、あるいは子どもと一緒になって考えたりするなど、いずれにしても解決に向けてオープン&協力的なコミュニケーションが行われます。
ましてや、我が子の自立に関する問題であれば、親は経済的な援助も含め自立に向けて、一生懸命サポートするかと思います。
ですが、毒親が君臨する家庭の場合は、家庭内にトラブルごとが生じた場合、大きく次の4つの方向に反応します。
- 否認、矮小化
- 隠蔽の強要、問題のすり替え
- 責任転嫁
- 放置(現実逃避)
たとえ、そのトラブルごとが我が子の自立に関する重要なことだったとしても、先ほどの4つの通り、責任ある大人であれば取るであろう「解決に向けて自分にできることを精一杯やってみよう」という姿勢は毛頭ないのです。
ああ、本当にどうしようもないですね…。
そんなどうしようもない親に関わっているほど人生の時間は長くないので、1分1秒でも早く、親にまつわるアレやこれやは清算する方向に舵を切る決断をすることを本当にオススメします。
おっと、話を戻します。
そういった後ろ向きで、他責で、回避的な姿勢を幼いころから見続けた子どもは、健全な「自己責任」や「問題解決力」などを育むことができるでしょうか?
残念ながらかなり難しいといえます…。
幼いころから「自己責任で問題を解決する姿を見る機会」「自分たちで問題を解決する機会」を失っているので、社会に出てから「どうせ自分には何もできない」という無力感に苛まれることになりがちなのは、ある意味仕方がないことといえるでしょう。