本来の「暴力防止プログラム」は性行為の知識が必須
民間の「子どもへの暴力防止プログラム」の老舗として知られる「CAP」は1978年にアメリカで始められ、日本でも1995年から活動がスタートしました。
ここで言う「暴力」は性暴力を含めた大きな概念ですが、それでも性暴力を防ぐための必須情報として、たとえ幼児対象のプログラムでも、「性行為とは何か」という基本的なことを科学的に伝えることを柱としています。
もし、文科省の指導内容が、CAPなどの暴力防止プログラムを参考にしていたとしたら、肝心なところを骨抜きにして作ってしまったと言うほかありません。
「暴力としての性」だけが必修項目となる影響は?
2つ目の問題点として私が挙げたいのは、このまま全国の学校で「性については教えないけど、性暴力についてだけは教える」という授業が行われるとしたら、子どもたちは「本来の性」を学ぶ前に「暴力としての性」だけを義務教育で学ぶということです。
すると、当然のこととして考えられるのは、性に対して否定的なイメージを持つ子どもたちが増えるのではないでしょうか?
そうしないためには、「人と人をつなぐ、幸せな性」を同時に教えるのでなければ、まったくの片手落ちということになるのですが、残念ながら学校の現場では「性を扱うのは荷が重いし、そのノウハウもない」と逃げ腰の先生の声がよく聞かれます。
これも2000年前後に、意欲的で良心的な性教育授業を行った教師たちが「行き過ぎた性教育」という言いがかりをつけられ処分された当時の政府主導の「性教育バッシング」が大きく響いていると言えます。
しかし、この20年以上もの間、「もっときちんとした性教育が必要」という専門家の声があちこちで叫ばれながら、いっこうに政府内で「性教育の内容改定」が取り上げられないのは不思議だと思いませんか?
まともな性教育が行われないことが原因で、暴力的な描写が目立つアダルト動画が青少年の「性のテキスト」代わりとなる実態が20世紀から何十年も続いている日本。
21世紀に入って急増しているセックスレスは、その原因の大半が、アダルト動画などの歪んだ性情報による“誤った学習”が背景となったものです。
そしてもうひとつ、日本の大きな社会問題となっている「止まらない少子化」もまた、表向きには保育所不足や教育費の負担感の大きさなど、「子どもを育てにくい社会システム」が原因だと言われていますが、それは表面的な理由に過ぎません。
もっと根本的なところに踏み込んで言うと、ズバリ「まともな性教育が行われていないから」こそ、うまく自然妊娠に結びつくような順調な性生活を持てるカップルが少なくなっているということが言えるのです。