こんにちは。めしょんです。
使うと、とてもいい言葉はたくさんあります。愛で始まり、恩で終わるとても素敵な言葉の国だからね。
でね!そんな言葉たちであったとしても不自然に使うと、途端に気持ち悪くなります。
例えばさ、この国最高の言葉「ありがとう」であってもさ、ナチュラルに使われているうちは本当に素敵な言葉。誰もが嬉しい言葉。
だけど、集団で連呼して唱えだしたり100回くらい連続で書かれていたりするともう呪術のように見えて、途端に気持ち悪くなります。
どうして同じ言葉でも、言い方が違うだけでこんなにも印象が変わってしまうのでしょう?
素敵な言葉が似合う人に

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なぜなら、不自然だからね。
つまり、その人に対して「ありがとう」が不自然であり、違和感だらけになるので、不自然に使うことにより、ありがとうから一番遠い存在になるの。
一番なじんでない(似合わない)言葉になるのだ。
「ありがとう」は素晴らしい言葉なんだからナチュラルにすっと言えるようになるとさ自分に似合う言葉になるのにね!
- ありがとうを意識的に伝えるようにする
- いい言葉を大事にする
- その言葉が似合う自分になる
ぐらいの感覚でいいんだよ。
『大丈夫』っていう言葉だってさ、言えば言うほど大丈夫になっていくから。アスリートだってセルフトークで常に使ってるからね。
でも、とても大事な言葉なんだけど、これも不自然に使うことにより、違和感だらけになるし連呼すると、小島よしおになります(彼のことはとても尊敬している)。
「嬉しい」にしたって、「最高」にしたって、「ツイてる」にしたって、「やったー」にしたって、ナチュラルに出る口癖だと自分にとってもピッタリで「キミはいつも感謝に溢れてるね」なんて周りから言われちゃうくらい、その言葉が似合うと思うけど、どんないい言葉であっても呪文を唱えるように連呼したり、不自然に文脈に関わらず多用したりすると、途端に一番なじんでいない言葉になるんだ。
なんでかというと、思考停止で使うようになるからね。連呼するだけとか、唱えるだけとか、定型文を言い出すとか、心と言葉が一致していないと、嘘だらけの言葉になっちゃうことが極めて多いんだよ。
『ありがとう』が似合うと、感謝に溢れる存在になるけど、『ありがとう』が似合わないと、感謝から遠い存在になる。
不自然に連呼することにより、一番遠い存在になってしまうんだ。
たまにさ、メッセージやコメントなんかでも定型文を多用したり、同じことしか言わない人がいたらぜんっぜん読む気なくすじゃないですか。
いい言葉を大事にしたかったら心に沁み込ませて、ナチュラルに使うといいよ!その言葉が似合う自分になってくるから。
いい言葉を唱えるよりも大事なのは、いい言葉が似合う自分になることだからね!
いい言葉が似合うようになると格好いい奴になってるよ!
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