心配性なあなたに、きょうはこの言葉をお届けします。「不安になったことはありますか?」
十分な準備をすれば大丈夫?
「十分な準備をするから楽観的になれる」と書いてあったのは、10年前にとったメモ。
どんなタイミングで、何を意図してそれを書いたのか?…いまとなってはまったく記憶にないのですが、この10年間、そのメモがずっと私のネタ帳に残っていました。
おそらく、ちゃんと準備をしておけば、失敗する確率が減るので不安が減る。だから、「きちんと準備をしておきなさい」と思って書いたのでしょうね。
「十分な準備をするから楽観的になれる」のは、至極まっとうなこと、アタリマエのことのような気もします。
しかし何度もこのメモを見返すうちに、最初はうっすらとした霧のような違和感があったのが、だんだんカタマリのようになってきて、「なんか違うんじゃないか…」という感覚が、「これは違うな!」という確信に近いものに変わってきました。
なんか回りくどい書き方をしてしまいましたが、要は何が言いたいのかというと、「十分な準備をするから楽観的になれる」なんてことはなくて、「準備は、すればするほど悲観的になる」というのが現実じゃないかなと。
もっとも楽観的でいられるのは、何も準備をせずに「なるようになるさ」みたいな感じで手を動かすことも頭を動かすことも放棄しているときではないでしょうか。