生きる意味がわからない…どうすればいい?
つまり、「生きる意味とは?」とか、「生きている意味がわからない」というのは、「自分の生きる意味があってほしい」と願っている人が発している言葉ですよね。
「生きる意味」とか、「何らかの使命」のようなものが1つか2つあって、「あなたが生きるのはこういう理由ですよ」といわれたいかのように考えている状態だと思います。確かに、そういうものが先にわかっていれば、動きやすいかもしれないですね。
ところが、実際には意味というものが明確に理解できるということにはなりません。だから、意味というのはあなたが「つくりたがっているものだ」と、とらえるのがいいと思います。
「生きる意味がわからない」と思うときには、「私の生きる意味というのはこういうことだ」といえることが見つからないため、または見失っているために悩んでいるのかもしれないと、そうとらえてみてほしいのです。
ただし、そういう疑問をもっているからといって、「あなたの生きる意味というのは、こういうことなのですよ」と説明され、「なるほど」と納得し、その通りに動くことを望んでいるのではないはずです。
「私の生きる意味というのを、私以外の人に決められるのは御免だ」という気持ちは、誰にでもあるのではないでしょうか?
そういうふうに普通に考えを進めていくと、「自分自身の生きる意味というのは、自分自身がとらえていくもの」として、自由に考えていくことができるはずなのです。
1人1人が、「生きる意味」というものを1つに決める必要など、どこにあるのでしょうか。何をするのかさえ決めるのが難しい状態であるにもかかわらず、「生きる意味」を1つか2つに絞ろうとするのはナンセンスだと思いませんか。
多くのことを求められ、多くのことをこなし、多くのことを褒められるようになる。そういう願望をもっている人こそが、「生きる意味」というものを考えようとするのではないでしょうか。
にもかかわらず、「いま何もできていない」か、もしくは「何かこだわりがほしいと思ってしまうほど、こだわりのあることができていない」という状態であるからこそ悩んでいる・・・という結論に至るのがいいと思います。
「生きる意味」といってしまうと大げさですが、いい換えれば、「生きている実感」というものがほしいといえる状態ではないでしょうか。