「なんか疲れる」の理由
子どもが産まれてからというものの、常に先回りして「あれをやっておかなきゃ」「これはまだやれていないな…」と考えをめぐらせたり、家事や子どもまわりでやるべきことを忘れないよう、スマートフォンや紙にメモしたりするのが当たり前に。
「考えること」自体は苦痛ではなかったものの、育児や仕事の合間の休憩でも、なんだかんだといつも頭を動かしている感覚がありました。
こういった「こまごまとした見えない家事を洗い出す・計画する」ことも立派な家事のひとつだと、いまになっては思いますが、当時は理解できていませんでした。
そもそも夫は家事・育児においてフラットで、決して一方的に押しつけたりするタイプではありませんでしたが、必然的に「夫は気づいていなくて自分だけが気づいた見えない家事」を、自分で処理することも増えていたように思います。
そんな日々が続いた結果、常に「なんか疲れるな」と感じるように。睡眠時間を確保したり休息の時間を設けたりしても、疲れが取れなくなってしまったのです。
「これで体調を崩して長引いてしまったら大変だ…」と危機感を覚え、いまの状況を変えなければいけないと思い立ちました。
とにかく「共有」を意識
それからは「やるべき家事や子ども関係の用事を考える」→「実際にそれらをやる・夫婦で分担する」というフローの間に「こまめに夫に共有する」というワンクッションを挟むようにしました。
たとえば「明日はビン・缶の回収日」「区役所の書類は○日までに返送」「そろそろ牛乳と卵がなくなりそう」など、気づいたことを自分だけで処理せずにその場で夫に伝えたり、スマホからメッセージを送ったりするようになりました。
家事・育児でやらなければいけないことを常に共有するようにしたことで「忘れてた!」「やってなかった/知らなかった」などが減り、どちらか一方が覚えていたりやったりするようになりました。
また「今日はこれとこれを済ませた」というように、自分がやった見えない家事を伝えたり、見えない家事のなかには具体的にどんな作業があるのかということも、会話のなかで伝えるようにしました。
たとえば「子どもをお風呂に入れる」でいうと、その前後に「お湯を沸かしている間にタオルと着替え、おもちゃを用意する。お風呂を出たら身体を拭いて服を着せ、お茶を飲ませて濡れた床を拭き、お風呂で遊んだおもちゃを片付ける」という作業があります。
この一連の流れを伝え、お風呂に入れる前後の「見えない家事」のほうが実はこまごまとやることがあるということを、体感として話しました。
それまでは、夫が子どもをお風呂に入れるときの前後の準備は自然と私が担当していましたが、この話をしてからは、夫が子どもをお風呂に入れる日は、その前後の作業を含めすべてを任せることができるようになりました。
自分のなかに「大変なんだからやって」「どうしてやってくれないの」という想いがあったわけではなく「事実としてこういう見えない家事がある」と伝えたことで、上手に共有できたような気がします。