妥当な選択は黙ること?
その後、会社に伺った際、副社長は平然とした態度で私に接してきたことを覚えています。彼はなかったこととして処理していたのかもしれませんが、私にとっては忘れられないほど不快な出来事。
4月からこの会社で働くことは難しいと判断し、唯一信頼を寄せていたキャリアカウンセラーの大学教授に相談をしました。
そのときに返ってきた言葉が「私ならあなたの選択はしない。セクハラなんてよく起きるものです。自ら自分の人生をねじ曲げるようなことをしないように」。キャリアについて発信する専門家でさえも、目を瞑ることが妥当であると考えていることに絶望しました。
違和感なく受け入れてきた性差
このことをきっかけに、いままで私に問題意識がなかったのは、差別やセクハラなど、ジェンダーに関する問題がなかったのではなく、顕在化されていなかっただけのだと実感しました。
得意科目がないから文系を選んだことや、政治家に男性が多いことも、違和感なく受け入れてきました。
これらを当たり前だと思っていた私と、忘年会で見た周りの大人たちは一緒なのかもしれません。問題視する前に、当たり前だと思うことで違和感も抱かないのだと。ですが、本当に「仕方ない」で完結する話でしょうか。
現状を知らないほうが幸せに過ごせる場合や、知らなくてもいい問題として処理する人はいるかもしれません。ですが、誰もが「らしさの呪文」による不利益な出来事を被ったことがあり、また今後も経験しうるだろうこと、私は間違いなくいえます。
もしあなたや大事な人が被害者となったときに、守られる環境がないことは安心できないのではないでしょうか。