こんにちは。『世界でいちばんうれしい言葉』『すごい人生は、今日はじまる。』の著者めしょんです。きょうは、「ごめんなさい」が言えない人に向けてお話しします。
「ごめんなさい」は、自分にやさしくする言葉
小さいころ、どれだけ「ごめんなさい」の大切さを教わっても、大人になればなるほど、適切なときに言えなくなったりしますよね。
子どもには、その言葉の大切さを教えるのに、「ごめん」と言えば1秒で解決するシーンで、なぜか自分は「ごめん」が言えない人もいます。でもそれは、自分にとってもあまりいいことではないことが多いのです。
十七世名人の資格保持者である谷川浩司さんの言葉で、こんな言葉があります。
将棋では「負けました」と頭を下げるのが正しい投了の仕方。とてもつらい瞬間です。でも「負けました」とハッキリ言える人は強くなる。これをいい加減にしている人は上には行けません。
参考:朝日新聞
自分が大事にしてきたものであるほど、負けを認めるのはとても悔しい瞬間です。将棋棋士ともなれば、その勝負に人生そのものをかけてるくらいです。
だから、無言で去っていく人も、平常心を失う人もいるのですが、強くなる棋士は「負けました」とハッキリ言うそうです。
「負けました」と言えない人は、何かのせいにしたり、自分の間違いを認めなかったり、自分の手を改めなかったり、相手への敬意がなかったり…だから成長しないようです。
逆に、とてつもなく悔しい状況で「負けました」と言える人は、間違いをあらためることができる人で、考えを柔軟にできる人で、相手への敬意を持っている人で、その敗北を活かす人になるそうです。
ある種「ごめんなさい」も似たようなところがあるなぁと思います。
過ちて改めざる、是を過ちという。
孔子のこの言葉は、誰もが間違えることがあるし、失敗することもある。でもそれ自体が間違いなのではなく、それを改めないことが間違いだということです。
「ごめんなさい」ができるだけで周りの人も優しい気持ちになれるものですが、それが誰にとっていちばんやさしいことかというと、きっと自分に一番優しい言葉なのではないかなと思っています。
「ごめんなさい」が言えないだけで、大切だったはずの人が離れていったり、心が離れていったりします。そしてそれが誰にとっていちばんきびしいことかというと、きっと自分に一番厳しいことだなと思うのです。
だって「ごめんなさい」が言えないとき、なんとか自分のことを正当化しようとか、自分の主張を押し通そうとか、他人を思い通り動かそうとか、わけわからないこと考えてるんだもの。
あまりいい顔にはなれませんよね。ものすごくハードモードな人生にしてると思います。
だから、「ごめんなさい」や「間違ってた」など誤ちを改めることというのは、とても自分にも周りにもやさしいこと。間違いは、あらためたら間違いではなくなるのだから。この言葉を大切にしていきましょう。
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