許さなくても、怒りを手放さなくてもいい
さて、これまでマンツーマンのセッションで多くのクライアントの「怒り」と向き合う中で、僕自身が感じていることは、「親を何とかして許さなければいけない」「親と和解しなければいけない」「怒りを癒やし手放さなければいけない」などと考えているせいで、余計に悩み苦しみを深く重くしてしまっている人が少なくないということです。
「許し」について掘り下げる前にお話ししておきたいのですが、いま時点で僕が出している答えとしては、「親を自然と許せるなら許せばいいし、無理するくらいなら許さなくてもいい」「怒りを自然と手放せるなら手放せばいいけど、無理するくらいなら手放さなくていい」ということ。
そして、許せない(厳密には「許さない」)のであれば、むしろ、その許せない気持ちを握り締めたい自分と向き合いながら、しっかりと自己受容してほしいということです。
ただ、こういうことを言うと、「でも許さなきゃ、そして怒りを手放さなきゃ、そもそも前に進めないのでは?」と疑問や不安を抱かれる人もいるかもしれませんが、そんなことは全然ありません。
たとえ「許す」ことができなかったとしても、たとえ怒りや恨みを手放さずに、心の中に抱えていたままだとしても、「親のことなんて、もうどうでもいい」「もっと自分の人生のことを考えよう」と思えるようになることも、私たちはできます。
そもそも「許す」には、許すだけの納得できる理由が必要ですよね?そういう理由があるのなら、許す方向に頑張るのもいいかもしれません。
でも、許すに値する理由がないのなら、無理して理由づけをする方向に頑張って、余計に自身の本心を抑圧するなんて無益な、いや無益どころか「害」になるようなことはやめるほうがよいでしょう。
そういう意味でも、「許さなければいけない」「癒やし、手放さなければならない」という思い込みのほうこそ、早めに手放しておくことを僕はおすすめします。
親を許すことよりも、大切なこと
そもそもですよ!
人としての尊厳を何度も傷つけ、無価値で無力であるかのように思いこませ、一度きりの人生を「暗闇」に向かわせるという悪魔的な所業をされてきたわけです。ですから、そもそも許せないし、怒りを手放したくないと感じることのほうが自然なことなのです。
実際、なんとかして「許したくないものを許そう」と努力するよりも、もっと別なことにエネルギーを向けたほうが前向きで建設的だというのが僕の考え方です。
別なことというのは、たとえば
- やりたかったけど我慢してきたこと
- やってみたいこと
- 興味関心が自然と向くこと
などです。
私たちには「意識を向けたことが拡大する」という脳の特性があるので、楽しそうなことに意識を向けて拡大させた方がいいんじゃないかなと思うのです。