ふたりにとっての理想の形
まさかこんなに早くそんな日が来るとは思いませんでしたが、これが意外にもうまくいっているのです!
夫は、もう社会的に人と折り合いをつけてやっていくことに苦痛を感じているので、家にいてもらう。そして、家のサポートをする。
わたしは、働くことや交渉などができるし、人とうまくやれるので、そういった特性を生かして、外に出て、仕事に精を出す。
「なんだ。よく見てみたら、もともとの性質にあったことを、そのまま分担しただけだった!」という感じなのです。
そしてさらに、そこには嬉しい誤算がありました。夫は料理というものをしたことがない人なので、「食事はどうなるのだろう?」と思っていたのですが、徐々にわたしのレシピを一緒に作る日が増えてきました。
いままでは「料理は女がするもの」という誤った観念でいっぱいだった人が、少しずつ、自分が「おいしい」と感じるものを、自分で作る喜びを得ていったのです。
このような生活が始まってからまだ日は浅いものの、キッチンに立つことすらなかった人が、自分から何かを作ろうと模索するようになりました。
まだまだ、包丁の切り方はぎこちないし、調味料も何を使っていいかわからないことが多いので、手取り足取りではあります。
こんな夫が60歳を超えて初めて自力で作ったのが、チャーハン。わたしがアシストしたものの、伝えた通りに作ったら、とてもおいしかったんですね。
「おいしいよ!」というと、嬉しそうに「うん」と。「自分でもできるんだ」という達成感もあったのでしょう。顔には出しませんが、とても誇らしげな感じでした。
そもそも、雇い止め問題が起こる前から、仕事メインではなく趣味に生きている人だったので、正直なところでは、仕事ではなく、こんな風に家にいて家事をしながら暮らしたいと願っていたのだと思います。専業主夫的生活が合っているのです。
だから「無職」を引き寄せたということも、いまではわかります。いろいろあったけど、結局自分でこれを望んだでしょう?と。
形的には、いまわたしがひとりで仕事をし、屋台骨としてすべての家計を支えています…が、それは金銭的な面であって、裏の部分ではそんなわたしを支えてもらっています。
「夫を養う」というのは表向きで、夫が支えてくれるからこそわたしが自由に仕事ができています。そして、夫と自分の二人を支えている感じです。苦ではありません。
なので、よく見たら、二人にとって理想な関係になっていました。これも夫が無職になってくれたからこそ、の変化。「餅は餅屋」というのは、夫婦にも当てはまるようです。
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