みなさんこんにちは、スピリチュアルカウンセラー/ヒーラーのみちよです。
50歳にもなると、きっとどんな家庭でも「定年」 という文字を意識し始めるのではないでしょうか。
企業でも早いところでは、55歳とか、60歳が定年だったりしますので、いま会社でお勤めの人もきっと、日常でそのような話題が上がると気になるかもしれませんね。
うちは夫が2022年4月から「無職」になりました。60歳で早期リタイアです。しかし、いま流行りのFIRE「(Financial Independence Retire E arly(経済的自立と早期リタイア)」ではありません。ただの「無職になった人」 です。
きょうは、わたしが「夫を養う」と決意するまでとそれからについてお話しします。
夫が無職になるまで
経緯を話すと、うちの夫はオーストラリア人。これまで20年間、日本の大学や高校などたくさんの学校で教えてきた英語の先生で、最後にお世話になっていた私立の学校では、大変充実した日々を過ごしていました。
契約社員のフルタイムでしたが、部活にも参加したり、海外にも出張に行ったりと、日本語はそれほどできないにしても、英語科の主要メンバーとして重宝されており、なんとなく温かいオーラをまといながら毎日楽しそうに出勤していました。
そこでは人にも恵まれ、「5年間の契約後も次の契約を継続できるよう、頑張りましょう!」といった励ましや応援ももらえていて、本人もその気でいましたが、去年の4月に「来年の契約は更新しない」という主旨の通達が出され、そこから夫のオーラは一気にグレーになりました。
そこから約1年間、夫は学校と真っ向から戦ってしまって、完全に嫌われ者…。最後には、これまで努力して認められてきた実績、親しくなった先生たちとの関係もすべてぶち壊してサヨナラしてきました。
もっといいやり方はあったと思いますが、誰の意見も聞かない頑固おやじです。これまでチヤホヤされていたなか、最後には誰一人として味方がいなくなったことを嘆いておりましたが、日本のような社会で自分の主張だけを通そうとしてもそれはうまくいかないのだ…と今回は身をもって理解したようです。
ここを諦めて、ほかの学校にも履歴書を送ってみたものの、あと5年で定年の年齢。契約でも、パートタイムでもいい返事はもらえず…でした。
そんななか、わたしが腹をくくったのが今年の2月です。「もういいや、この人をわたしが養っていこう」と。これは、わたしにとってはも、パラダイムシフトのような決断。
以前のわたしなら絶対にOKせず、「どんな仕事でもいいから、探して!」と言っていたと思います。
それは単純にお金のため…というよりか、妻が働いて夫が何もしないという、わたしから見たら「ずるい」構図を許せなかった…ということが大きいです。
「男ならちゃんと働いて女を楽にしてくれ(気持ちだけでも)」という思いが強かった。収入的には、わたしのほうが上でも、それは関係ない。「男が働いて、その懸命な姿を見せることが大事」だと信じていたんですよね。
そこはわたしの男性性が、譲らなかった部分です。
「アンタ男でしょ?(わたしと同じくらい)男気発揮してよ!」という、文字にするととてもヘンテコな観念があったことで、「夫が早期リタイアするなんて絶対に許せない」と思っていました。
毎日が辛すぎて「学校を辞めたい」と愚痴をこぼしたときには、そのあとの道は「もう何もしたくない!(=家で遊んで暮らす)」と言い張るので、「それだけは許可しないぞ!」という気持ちが強くありました。
それがここへきて、わたしのなかで何かが変わったんです。ひとつは、学校が「契約更新しない」と決定した後、あれだけ仲良くしてもらっていた学校の同僚さんたちから手のひらを返されて、完全に無視され、孤立していた毎日を見ていたこと(とても落ち込んでいました)。
そして、結局はあと5年経てば定年を迎え、どのみち、わたしが家計を支えること。いつかは迎える前線を退くときを目の前で見せられてしまったら、「もうこの人を外で戦わせるのもどうかな。もう潮時だな」と悟ったのです。
そこで夫には、ある条件を提示しました。「これからはわたしがすべての家計を面倒見ます。なので、わたしを走らせる(=よりよく働かせる)ためにサポートしてください」と。
わたし自身は仕事が好き。幸い、やっていることは楽しいことばかりなので、楽しく働けています。
なので、掃除や買い物など家庭のことをやってほしい。仕事中心になると当然家のことはできなくなるので、夫に担当してほしい、と。要するに専業主夫になってもらうことを条件に、早期リタイアをOKしたのです。