時代が移り変わるたびに、増える「禁句」
LGBTQの社会運動も、ある種「主張」です。
LGBTQの性や性的少数者の社会的受け入れを目標として改善を求める行動でありますが、いまではこれらの運動のお陰で人権侵害を受ける人たちは減っているように思います。
これも時代の流れであるし、これらの性への自由を侵害することなく、制圧することなく受け入れなければならないという風潮が社会にできあがりました。
ですが、「レディース・アンド・ジェントルマン!」という掛け声を規制した某遊園地は、以前まで差別的なテーマパークだったと思いますか?
「レディース・アンド・ジェントルマン!」と叫ばれたら、LGBTQの方たちは不快な思いをするのでしょうか?怒りに満ちあふれるのでしょうか?
時代が移り変わるたびに、「禁句」が増えます。「片親」はシングルマザー・シングルファーザーとなり、「スチュワーデス」はCA、「看護婦」は看護師…。
言い方も呼び方も変化していますが、悪意のない言葉までもが「差別」として捉われないように、聞く人を配慮して、とても気を使わなければならない気持ち悪さが増えているように思います。
それもこれも、「主張!」と自由に発信できる社会の背景が変化したことが影響していて、ものすごいスピードで世の中が変わってきているなと感じますね。
自由な主張も歯止めを掛けなければ、どんどん自由の履き違えが起こりえるのではないでしょうか?
見せたい人、見られたくない人、見たい人、見たくない人…個人はさまざま。見たくなければ見なきゃいい。だけど、誰の目にもいれようとするメディアがいます。
ただ、「自由=好き勝手」ではありません。そこに秩序がなければ、ただの動物ではないでしょうか?
パリス・ジャクソンがそのうち、真っ裸で街を闊歩する日が来るのでしょうか?ある意味、そこまでやれば「あっぱれ!」ですね。
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