いまの時代、アメリカ・ロサンゼルス(以下、LA)に居ながらにして、日本のテレビやメディアの情報をリアルタイムで知ることができるようになりました。
日本ではメディアがよく「アメリカで大流行」などの謳い文句を使っていますが、嘘が多いのも事実。私のメルマガ『FROM LA TO JAPAN』では、LAから見た日本への個人的意見も含め、本物の情報を発信しています。
迷惑な子どもに対する親の姿勢にガッカリ
先日、私が大型犬2匹を散歩していたところ、家の庭いじりをしていた女性がいました。
その家は植え込みが多い家なのですが、しゃがみ込んでいた女性の姿は歩いている私からも確認することができる高さの柵に囲まれています。
しかしいきなり柵越しから、上半身を出した犬が吠えかかってきました。どうやらその犬は、植え込みの下で休んでいたらしく…私には全く予測できませんでした。
吠えかかってきた犬と、私との距離は30センチ弱。すぐ手の届く位置に、相手の犬の頭が出ている状態だったので、かなり驚きました。
私が驚くのだから、当然私の犬も驚きます。相手の犬の威嚇吠えに対して、私の犬も反応してしまったのですが、私はすぐに犬を落ち着かせ、「No!」。
これは、叱ったのではなく「驚く必要はない!」という「No!」。悪いのは相手の犬です。うちの犬はそれに応戦する必要はありません。だから、「No」なのです。
ところが、庭いじりをしていた飼い主の女性は、ずっと吠えかかる犬を横目にしゃがんだまま…。「うちの子、老犬だから〜」というではありませんか!
謝るどころかまるで、「老犬だから何やってもいいんじゃない?」とでも言いたげ。
これ、子どもにも言えることで「子どもですから~」と言えば、こちらが我慢するしかないような世間になっていませんか?
以前、日本の電車内で騒ぐ子どもに迷惑したおじいさんが、「うるさい」と忠告をした際、その子の親から「子どもは泣いたり騒いだりするのが仕事。うちは周りに迷惑をかけるなとは躾けていない」「あなたの価値観を子どもに押しつけないで」と返された…という記事を読んでガッカリした記憶があります。
そういう子の親こそ、自分の「子育てという価値観」を周りに押しつけていますよね。
「うちの子には自由に!」という教育論を持つのは勝手ですが、周りに配慮できない親の姿を見た子どもが、どう育つでしょうか?
子どもが道で転んだら、そこにあった石のせいにする。その石がどこに属すかを調べ上げ、市や町を訴える。
間違った正義感に鼻の穴を膨らませ、子どもの前でそういう姿を見せるということは、将来その子も同じことをするでしょう。
アメリカの訴訟
アメリカではありがちな訴訟ですが、これらが当たり前にあるのではありません。
ガンになった元喫煙者が、フィリップモリスを相手どり訴訟…ということもあった国。マクドナルドのコーヒーが熱すぎて火傷…訴訟に発展した有名なマクドナルド・コーヒー事件。
300万ドル(3億9000万円)近くの「懲罰的損害賠償」の陪審員評決を勝ち取った女性の事例が1990年代にありましたが、最近でも似たようなことがありました。(参考:THE GOLD ONLINE)
これはいわゆる「言いがかりの訴訟(Frivolous Lawsuits)」と言われていましたが、実際火傷を負った被害者の状態は酷く、それに対してあざ笑うかのような企業側の横柄な態度。
「800ドルで文句言うな!」と言い放ったマクドナルドに対して、被害者が世間や陪審員を味方につけた裁判。
民事ではなく、連邦での争いにまで至った事件ですが、最近でもマクドナルドのコーヒーの蓋がちゃんと閉まっていなかったために、飲んだ際に火傷をした85歳の女性が訴えを起こしているようです。(参考:HUFFPOST)
アメリカはすぐ訴える国と知られていますが、訴える側にもお金が必要になります。
言いがかりで金をせしめようとする労力や時間、資金を考えると割に合わない方が多く、実際は民事での和解で終わっています。
たいてい、言いがかり訴訟で大金をせしめることに成功した事例は、訴えられた側の横柄な態度と事例の数の多さ。そこに「懲罰」が加わることで、受け取る金額が莫大になるのです。
言いがかり裁判に対しても、訴えられた側が真摯に受け止めなければ、ドエライ損をするの当たり前。陪審員は「ドラマチック」に動くのだから。
そう考えると、下手をすれば「石」のせいにするヤカラが出て来るのも時間の問題ではないでしょうか?
その石がどこに属すかを調べ上げ、市や町が責められる。もっといえば、その石の大元である岩を責める親も出てくるかもしれませんね(笑)。
そう考えたとき、「親の責任」は一体どこにあるのでしょうか?自分の過失を認めない子に育つ恐怖心は、いまの親にはないのでしょうか?
時代が変われば、教育法も変わって当たり前ですが、「自分が悪い」ということを認めさせる教育をないがしろにしてはいけません。
私が怪我した子どもの親だったら?「痛い勉強だったね」って、ふふふ…と笑うでしょう。
石につまづいて自分が転んだとき、石を責める親を見て子どもは何を学習するでしょうか?
- image by:Benny Marty/Shutterstock.com
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