いまの時代、アメリカ・ロサンゼルス(以下、LA)に居ながらにして、日本のテレビやメディアの情報をリアルタイムで知ることができるようになりました。
日本ではメディアがよく「アメリカで大流行」などの謳い文句を使っていますが、嘘が多いのも事実。私のメルマガ『FROM LA TO JAPAN』では、LAから見た日本への個人的意見も含め、本物の情報を発信しています。
先日、こちらでいつもお世話になっている会計士からメールが届きました。
アメリカに移住して私は30年以上、会計士もこちらの生活が長いのですが、メールの一文「後日こちらからご連絡差し上げます」に謎の違和感を覚えたんです。
たしかに日本語には「謙譲語」「尊敬語」「丁寧語」というややこしい言葉の使い方があります。この一文に対して、「?」を感じたのはなぜでしょう。
「後日こちらからご連絡差し上げます」という謙譲語は正しく、「敬語」であることはわかるのですがが、この違和感は何なのでしょうか?
調べてみると、そもそも「差し上げる」は、「与える」の謙譲語であるらしい。私的に解釈すると、「与える=くれてやる」。
だからこの言い方をされたときに、「うえから目線」に感じる人も多い表現でもあるそう。私だけではないということで安心しました。
丁寧語であるけれども、なんとなく違和感を持った理由は、別の一文が前についていたからだったのかもしれません。
全文は、これ。「その日は私の都合が悪いため、また後日こちらからご連絡差し上げます」
つまり、会計士の都合で、予定を断られた際の一文でした。
「差し上げる」は丁寧語だけど、自分の都合が悪いという主導権が相手にあることに対して、なんとなく違和感を覚えたのだと思います。
「相手を立てて話す=尊敬語・謙譲語」と覚えていた私は、未だにこの「差し上げます」の使い方がわかりません。
調べてみると、謙譲語=自らを低く位置付けることで相手を立てる敬語とありました。
そう考えると、さきほどの一文は「自分の都合が悪いから」という理由が先にあるために、「謙譲語」として成り立っていません。
付き合いも長く、電話ではこういう丁寧語で会話することなどない間柄であるゆえに、普通の会話では聞くことのない「差し上げます」という一文に、「これは失礼な言い方なのではないか?」と疑問を持ったのです。
私が失礼だと憤慨したのではなく、この言い方・使い方をほかのかたにもしているのであれば、私のように違和感を持つ年輩の方もいるのでは…と、少し心配になりました。
丁寧な言い方の「裏側」を感じて、違和感
いやはや、日本語はほんとに難しい。へりくだる言い方は、日本にはあふれています。
きょう目にした記事に、「あるスーパーのレジに貼られていた『お断り』が話題です」とありました。
その貼り紙は、ペットボトルを手にした女性店員のイラストとともに「従業員も水分補給をさせていただいております」と書かれています。
ここでも「させていただく」という言葉使い。スーパーのレジ担当、レジ係は水分補給に対しても「詫び」を入れておかなければならないのですか?
これはいわゆる「お断わり」ではあるけれど、「先に詫びをいれておく」という、言葉の響きとは裏腹の「文句言うなよ」という趣旨がうかがえます。
つまり私的解釈としては、「喉乾いたら水飲むからな、先に謝って置くから文句言うなよ」なのです。
丁寧な言い方の裏には、物凄く強い意思が垣間見え、私はまたもや違和感を覚えます。
私が感じる違和感は、おそらく「言い方は丁寧だが、断固たる意志」を感じるからでしょう。「お断り」という名の、「詫び」。
以前にもお話ししましたが、電車の運転手さんがサングラスをかけていることに対しての「詫び」。
安全運転のために運転手がサングラスを使用する場合がございます、という「詫び」。
最初に「詫び」を入れるのは、最近では映画でも見受けられます。
「喫煙シーン」「自殺シーン」「暴言」「ヌード」などと、映画を見る前に「こういう場面がございます」という「詫び」とも言えるコンプライアンス対策。
いまと昔では、刑事もののドラマもまったく違います。
『あぶない刑事』は、まさに文字通り、危なかった。ノーヘル(ヘルメット未着用)の刑事がバイクにまたがり、ショットガンをぶっ放す。しかも両手はハンドルを握っていない。パトカーには「箱ノリ」があたりまえ。シートベルトなんてつける暇もない。
事前に「詫び」や「お断わり」を申し出ないといけない世の中になったということは、それだけ「文句」をいう人が増えたからでしょう。
レジ係の人が、水を一口飲むことに「お断わり」が必要なのでしょうか?トイレに行きたくなったら、これもお客さまに「お断わり」を申し出なければならないのでしょうか?
アメリカは、どんだけレジが混んでいても、レジの台には「CLOSE」という文字の書かれたプラカードが「ドン!」と置かれます。レジ担当者の休憩時間に突入するからです。
主張の強いアメリカ人でも、そこで文句を言う人は見たことがありません。「あっ休憩なのね?」で、ノコノコと別のレーンに並びなおすのが主流です。
「水分補給をさせていただいております」という張り紙を張ることは、文句を言うクレーマー対策の一環であると思いますが、果たしてレジで水を飲む人に、腹を立てる人間がどれほどいるのでしょうか?
多数派か少数派か?少数のクレーマーのためにいちいち謝ったり、お断りを申し出たり、詫びをいれなくてはならないのでしょうか?そんなに客が偉いのでしょうか?
客は「買ってあげている」心理なのか、「買わせていただいている」心理なのか?売る側の人は「買っていただいている」のか、「買わせてやっている」心理なのか?
何事も対等であるべきであると私は思います。
日本で生まれ育って、きちんと日本語を学んだ私でも、最近の過剰な丁寧語や謙譲語には疑問を抱きます。
私と付き合いのある会計士も、「こちらの都合をみて今度連絡します」という一文でいいのではないでしょうか?
ロスで生活していくうえで、電話で英語を話す機会もほとんどありません。電話を掛けたところで、オートメ―ション化されているAIとのやり取りが多く、人間と直に話すことはほとんどないに等しいのです。
英語も日本語もどんどん忘れています。かつては多少話せていたスペイン語も、もはや話せません。
覚えていた単語が日本語であれ、さっと出てこないお年ごろ。英語なんて使わない単語はどんどん忘れていく始末。
ネットとメールのやり取りで、一日誰とも話さない日は多々あって、そのうち話し方まで忘れてしまいそうです。
人と実際に声を出して会話しなくても、何の支障もない毎日に慣れてしまっている。そしてたまに、日本語の丁寧語・謙譲語などで書かれたメールをもらうと混乱してしまっている。
思いやりの言葉、「あなたのためを思って…」という枕詞から始まる会話。私はそれらって、自分の腹黒さを隠すための手段だとまず思ってしまいます。
下手にへりくだる、謙虚な姿勢、態度は、ときとして私のような「ひねくれ者」の嫌悪感を逆なでします。
そういう人もいるということ。万人に好かれる、万人に認められる、万人に賛同させる…それは有り得ないことなんだから、いちいち少数派に「詫び」を入れる必要などありません。
喉が渇けば、誰に断りも入れず飲めばいい。
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