いまの時代、アメリカ・ロサンゼルス(以下、LA)に居ながらにして、日本のテレビやメディアの情報をリアルタイムで知ることができるようになりました。
日本ではメディアがよく「アメリカで大流行」などの謳い文句を使っていますが、嘘が多いのも事実。私のメルマガ『FROM LA TO JAPAN』では、LAから見た日本への個人的意見も含め、本物の情報を発信しています。
最近の円安にびっくり。なんだか「格差」って、虚しくなります。
私が日本からこちらに来たのは、1990年。ロスにそびえ立つ高層ビルが次々に日本企業によって買われていたし、「日本の強さ」はひしひしと感じ時代。
日本製が高級品で性能もよく、家電屋にいけば日本製をこぞって勧められた時代でした。
いまや、携帯はAppleかサムソン…Googleやモトローラも頑張ってはいるものの、そこに「日本製」の携帯はありません。
海外旅行で日本に行く外国人が増えていると話は聞きますが、それは当然。
昔は強い円を持ち、フィリピンやタイ、香港などと海外旅行者はたくさんいて、「安いから!」と、旅行で日本から海外に行く人たちが多くいました。
いまや、日本が「安い国」と言われて、甚だ悔しい思いがあるのは否めません。
日本人は自分たちで「安っぽさ」に追い打ちをかけている?
「安い」だけではなく、「安全」そして「平和」もそろっている日本。
路上飲酒はOK。「コンビニでもどこでも酒は買えるし、酔っぱらって道に寝ていても大丈夫なんでしょ?」と、外国人に問われると答えようがありません。
しかも、「安さ」には「親切、丁寧なサービス」までついて来るのだから、そりゃこぞって日本に行くでしょう。
日本の観光地、昔ながらの伝統を守る街やお城もあれば、ディズニーランドやユニバーサルスタジオもあるし、四季のある日本は自然も美しい。
なおかつ、「おいしい食べ物」もそろっていて、日本の魅力は満載。
それを「安さ」だけで語られると、ちょっとイラっとしてしまいます。
どこかで「バカにされている感」を感じるのは、アメリカ在住者である私だけではないでしょう。
ただ、いまの円安で無理くり海外旅行に出かけた旅行者が、日本からインスタントラーメンとカップ麺、お米やみそ汁持参、ホテルで自炊していたという人も多かったらしく、この手の「節約ケチケチ旅行」の記事を読むと、さらになんか小バカにされているようで気分が悪くなりました。
旅行者はそれでも楽しんでいたのならいいではないか!
それらをいちいち、自国のライターが記事にしたり報道することが「安っぽさ」に追い打ちをかけているように感じるのです。
「125円で買えていたアボカドが、いまや259円!」だとかニュースでいちいち報道して、キャスターやアナウンサーまでもが口をそろえて「高いです!買えません!」とか庶民派意見を言うところなんかは、見ていてあざとさを感じます
なぜ、買えない自慢が主流なのでしょう。私は、「あなたたちは買えるだろ」と不快になるのですが…。
「6人家族の場合、年間で食費が◯万円もあがります!」とか、「○○の値段が年間いくらの支出が増えます!」だの、とにかく「お金」の報道が日本は多すぎはしませんか?
アメリカにはたくさん移民がいて、生活水準の格差なんてかなりあります。
余裕がない人もいれば、楽勝な人もいるからこそ、「庶民」や「貧乏」に寄せるような偏った報道はされていません。
いまや私は日本のテレビ番組など見ないのですが、ネット記事(新聞記事)などでも偏りをすごく感じるようになりました。
「節約旅行」をする方が素晴らしいのでは?
「海外出稼ぎで大儲け!」のような記事も見かけますが、これらもマスコミの扇動が激しすぎる!
語学力がなければ、どこも雇ってくれないという事実。ビザや就労許可が簡単に取れるものではないという事実は曖昧のまま。
たしかにこちらでは、ファストフードの時給はめちゃくちゃ高い。時給2000円は当たり前です。
先日、友人の息子が日本に帰国して日本で映像の仕事を始め、初収入があったそう。友人いわく「給料が安すぎる!」と息子が嘆いていたと言います。
そこで、また友人の息子はアメリカに戻るという話を聞きましたが…浅はかすぎる。
たしかに息子さん(彼)は、英語堪能。アメリカ人並であるが、正直「性格」に難あり。
もちろん彼の親である私の友人にもはっきりと伝えましたが、「こっちがダメならあっちに行く」という考えで、親元に戻った彼の「甘え」はいかがなものでしょうか?
親のサポートがあるからこそ、息子は日本に戻ったのです。そして、また親のサポートがあるからこそ、アメリカに戻れるのです。
彼は、20歳をとっくに過ぎた大人。
日本に帰国した息子は、家賃はタダ、食費も要らない。その状態なのに家に入れるお金も捻出できない職種で、期待と違う給料に嫌毛がさし、またアメリカに戻るという安易な考えは親の教育によって促されたのではないでしょうか?
私は友人に言いました。
「あなたが死んだら、この子はどうなるの?」
息子に苦労させないほどの多くの遺産があったとしても、自立できるでしょうか?
金はいつか尽きるもの。お金の有難さをわからないまま大金を手にして破産した人は腐るほどいます。
よその家庭のことで私は口を挟むようなことはしませんが、円安のなか、インスタントラーメンにお米、味噌汁持参で、自分の金で「節約旅行」している若者の方が、私はすばらしいと思います。
そういう考えが身につく教育を受けた若者の方が、幸せではないのでしょうか?
ちなみに私は若いとき、一人暮らしをしていて親の仕送りで短大に通いました。
じゅうぶんな仕送りを貰っていたにも関わらず、お金の使い方を知らなかった私は、随分と浪費したものです。
後先考えずに使ってしまうと、月末にはお金はなくなりました。そしてとうとう、電気を止められたことがあります。
公衆電話から親に電話して「電気が止められるから、お風呂に入れない。お湯もでないからお金を送ってくれ」と無心したことがありました。
そんな私に、母はこう言いました。
「風呂に何日入らずとも、命を落とすことはない!心配するな!」「なんでもやれ!」
切られた受話器に「鬼!」と叫んだことを思い出します。
翌日3000円を友人に借りて、なんとか電気を確保したものの、それが教訓になり、「光熱費には手を付けるべからず!」を学んだのでした。
時代が変わっても、私は母の教育が正しいと思っています。
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